いろは歌の元とされる涅槃経の悟りの歌に関する話を紹介します。

釈尊が過去世、「雪山童子」と言われた時、悟りを求めて修行していました。
雪山の奥深くで修行していたある日、どこからか微かな風に乗り、

「諸行無常
是生滅法」

と、悟りの言葉が流れてきました。彼は、長い間求めた悟りの半分だったので、喜びます。

「誰が尊い悟りの歌を歌ったのか」

と見回しますが、何も見当たりません。

彼は、残りの半分も聞きたいと、探しました。
やがて彼は、高い岩山に、恐ろしい羅刹がいるのを見つけました。

「あんな羅刹に尊い悟りの言葉が説けるはずがない」
と思いましたが、
「過去世に仏から教えを聞いた事があるのかもしれない」
と思い、
「今、尊い悟りの言葉を説かれたのは、あなたでしょうか。もう半分を教えて頂けないでしょうか」とお願いすると、羅刹は、
「俺は悟りの言葉など知らん。だが、10日程何も食べていないので、意識が朦朧として何か言ったかもしれん。
だがもう何も言う力はない」と突き放します。

彼は
「残りの半分を教えて下さい。何でも言う事を聞きます。」と言います。

「お前は自分の事ばかり考えている。俺は何も話す力がない」

「あなたはどんな物を食べるのですか。何でも用意します」
と尋ねると、羅刹は、
「俺は、生き血滴る人間でなければ食べられぬ。用意できぬだろうから、地道に修行に励め」
と冷笑します。

「私の肉体でもよいのでしょうか」
「いいが、できる訳なかろう」

彼は、
「残りの半分を聞かせて頂けるなら、喜んでこの肉体を差し上げます。どれ程大切にしても、数十年で滅びる肉体です。永遠の悟りの言葉をお聞かせ下さい」
と合掌しました。

すると羅刹は、姿勢を正して、
「生滅滅已
寂滅為楽」
と言います。

聞くと同時に童子の迷いは晴れわたり、悟りが開けました。彼は「私の出世本懐は成就した」と喜び、後世の為に悟りの言葉を石や木に刻みつけた後、高い木に登り、羅刹に向かい身を投げます。
その瞬間、羅刹は帝釈天の姿を現すと、彼を受け止め、地上に降ろしました。

帝釈天は、彼を敬って礼拝すると、「善いかな、善いかな、あなたこそまことの菩薩である。その決心があってこそ、悟りを開く事ができるのです」
と褒め称えました。
羅刹は、雪山童子の求道心を試す為に姿を変えた帝釈天だったのですね。

この悟りの歌は、「無常偈」と言われます。