蓮如上人の命がけの布教に関連して、「金森の合戦」を紹介します。

蓮如上人が活躍した当時、熱心な門徒が集まった金森や堅田は比叡山から見下ろせる位置にありました。
延暦寺からすれば、自分達の膝元で本願寺が急速に発展するのは、当然、面白くありません。攻撃は、蓮如上人のみならず、本願寺の門徒にも及びました。

 門徒の家に押し入って御本尊を奪い、金銭をゆすり、家屋を壊します。幕府も、再三、制止命令を出しますが、一向に収まりません。そこで門徒は、比叡山の横暴を避けて、蓮如上人まします金森道場へ集まるようになりました。町の周囲は水濠や土塁で囲まれ外敵の侵入を防ぎ、中は、道場(寺院)を中心に二百戸近い民家が建ち並び、道路も碁盤の目状に整備されていました。外敵からの攻撃を防ぎ、安心して仏法を聴聞できる町造りだったようです。

ところが、文正元年(一四六六)八月、比叡山が金森を襲うという噂が流れ、まもなく、三百人余の暴徒が金森を包囲します。しかし、堅田からの援軍や門徒決死の防戦で、蓮如上人は、かろうじて敵中を突破され、難を逃れます。

上人の無事脱出を見届けた門徒衆は、果敢に打って出ました。日頃の鬱憤が爆発したのでしょう、敵の主将の首級をあげ、十人以上を討ち取る勝利でした。

意気盛んに、蓮如上人へ報告に伺うと、上人は大変ご立腹になります。
「人を殺すとは、言語道断。正法か邪法かは、法論で決着をつけるべきだ。すぐに、軍を解散せよ」と、厳命が下されました。

これが「金森の合戦」で、史上初の一向一揆と言われています。