今日は仕事等で疲れているので短めの記事で。次の記事からは江戸時代末期の浄土真宗の出来事を取り上げる予定です。

さて、前回出てきた「平生業成」を改めて説明しておきます。

「平生業成(へいぜいごうじょう)」とは、いわば、親鸞聖人の教えを一言で表された言葉です。聖人から出た言葉ですから、聖人より前には「平生業成」という言葉はありませんでした。

「親鸞聖人は、どんな事を教えられたのですか」と尋ねられて、「平生業成の教えです」と答えれば100点満点と言えるでしょう。

聖人の教えを、漢字4字で表した浄土真宗の一枚看板が「平生業成」なのです。
看板といえば、それを見れば、その店が何を売っているか分かるもの。
「八百屋」という看板があれば、「野菜が売られているのか」と分かります。

それを見れば、何を売っているかが分かるのが「看板」ですから、看板は大変大事なものです。

親鸞聖人の教えの一枚看板が「平生業成」と言われるのは、聖人しか教えられていないのが「平生業成」の教えだからですね。

「平生」とは、死んだ後ではない、生きている今、という事です。

「業」とは事業の業の字を書いて、仏教では「ごう」と読みます。

聖人は、人生の大事業の事を「業」と言われます。大事業と言っても、徳川家康の天下統一の事業等ではありません。
人生の大事業ですから「人間に生まれてきたのはこれ一つの為」という万人共通の大事業の事。「人生究極の目的」という事です。

人は何の為に生まれてきたのか、何の為に生きているのか、苦しくともなぜ生きねばならないのか、という事です。

最後の「成」とは、完成する、達成するという事です。

人生には、「これ一つ果たさねばならない」という大事な目的がある。それは現在、生きている今、完成できる。だから早く完成しなさいよ、と教えられたのが親鸞聖人と言えますから、聖人の教えを「平生業成」の教えと言うのです。

しかし、今日、「平生業成」という言葉がどう使われるかといえば、観光バスのガイドさん等が、「皆さんの平生業成が良かったから、今日は良い天気になりましたね」等と、平生の行いという意味で使われる事が多いです。

親鸞聖人の教えの一枚看板である平生業成という言葉が、本来の意味とは異なる意味で使われる事が多い事に注意が必要ですね。