さて、因果の道理についての続きですが、ここで確認しておきたいことがあります。
仏教の根幹(こんかん)が、因果の道理ですね。根幹とは、根であり、幹である、ということですので、仏教を一本の木に例えると、因果の道理はその根や幹に当たります。
根っこがなければ木は枯れてしまいますし、幹を切ったら、木は倒れてしまいます。ですから、因果の道理が理解できないと、仏教は理解できません。
そして、この因果の道理を一言で言うと、「蒔かぬ種は生えないが、蒔いた種は必ず生える」ということです。
「因果」とは、「原因」と「結果」ということです。どんなことにも、必ず原因があり、原因なしに起きる結果は、万に一つ、億に一つも無いと教えられるのが仏教です。
もちろん、原因が「分からない」ということはあります。例えば、飛行機が墜落して数ヶ月が経ってもその原因が分からないということがあったとします。しかし、これは、墜落した原因が「ない」ということではありません。事故という痛ましい結果には、機体の故障やパイロットの異変など、必ず原因があるのです。
どんな小さな結果にも、必ず、それ相当の原因があると教えるのが仏教です。
次に、「道理」とは仏教で、「三世十方(さんぜじっぽう)を貫くもの」をいいます。三世とは、過去・現在・未来のことで、「いつでも」ということです。十方とは、東・西・南・北・上・下・四維(しゆい)のことで、「どこでも」ということです(四維とは、北東・北西・南西・南東のことです。)。つまり、「三世十方を貫く」とは、「いつでもどこでも変わらないもの」ということです。この、いつでもどこでも変わらないものだけを、仏教では「道理」といいます。ですから因果の道理とは、三世十方変わらぬものは、原因なしに起きる結果は絶対にないし、結果には必ず原因がある、ということです。
科学や医学の探求や向上は、この因果の道理の上に成り立っていると言えます。なぜなら、一つ一つの現象や病気の症状と言った結果を分析し、何が原因で引き起こるのか、どうすればその原因をなくし、問題を解決できるかを日夜研究しているのが、科学や医学だからですね。
その中で、仏教が因果の道理で明らかにしているのは、私たちの運命の原因と結果の関係ということになりますね。
仏教の根幹(こんかん)が、因果の道理ですね。根幹とは、根であり、幹である、ということですので、仏教を一本の木に例えると、因果の道理はその根や幹に当たります。
根っこがなければ木は枯れてしまいますし、幹を切ったら、木は倒れてしまいます。ですから、因果の道理が理解できないと、仏教は理解できません。
そして、この因果の道理を一言で言うと、「蒔かぬ種は生えないが、蒔いた種は必ず生える」ということです。
「因果」とは、「原因」と「結果」ということです。どんなことにも、必ず原因があり、原因なしに起きる結果は、万に一つ、億に一つも無いと教えられるのが仏教です。
もちろん、原因が「分からない」ということはあります。例えば、飛行機が墜落して数ヶ月が経ってもその原因が分からないということがあったとします。しかし、これは、墜落した原因が「ない」ということではありません。事故という痛ましい結果には、機体の故障やパイロットの異変など、必ず原因があるのです。
どんな小さな結果にも、必ず、それ相当の原因があると教えるのが仏教です。
次に、「道理」とは仏教で、「三世十方(さんぜじっぽう)を貫くもの」をいいます。三世とは、過去・現在・未来のことで、「いつでも」ということです。十方とは、東・西・南・北・上・下・四維(しゆい)のことで、「どこでも」ということです(四維とは、北東・北西・南西・南東のことです。)。つまり、「三世十方を貫く」とは、「いつでもどこでも変わらないもの」ということです。この、いつでもどこでも変わらないものだけを、仏教では「道理」といいます。ですから因果の道理とは、三世十方変わらぬものは、原因なしに起きる結果は絶対にないし、結果には必ず原因がある、ということです。
科学や医学の探求や向上は、この因果の道理の上に成り立っていると言えます。なぜなら、一つ一つの現象や病気の症状と言った結果を分析し、何が原因で引き起こるのか、どうすればその原因をなくし、問題を解決できるかを日夜研究しているのが、科学や医学だからですね。
その中で、仏教が因果の道理で明らかにしているのは、私たちの運命の原因と結果の関係ということになりますね。