数日前にあのデビッドボウイが亡くなりました。イギリスの雑誌NMEでミュージシャンを対象に行ったアンケートでは、「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」に選ばれたこともあるという偉大なミュージシャンですね。
この知らせを聞いて僕が思い浮かべてしまったのは蓮如上人の御文章の一節でした。
「上は大聖世尊より始めて、下は悪逆の提婆に至るまで、逃れ難きは無常なり」(『御文章』第3条4通「大聖世尊章」)。
「大聖世尊」とはお釈迦様のことですね。最も偉大な聖人として尊敬されるお釈迦さまも、その釈尊の名声をねたみ、命を付け狙った提婆も、死を免れることはできないと説かれています。
生あるものは必ず死す、と説かれるように、人類の歴史の中で、死ななかった人は一人もいません。
そのように死は100パーセント確実な未来と頭では理解していても、つい遠い先のことと思いがちです。「死なんてまだ先の話。今から考えたって仕方ないよ。」という意見もあるでしょうが、果たして真っ当な人生観といえるでしょうか。
ここで思い出すのが、デビッドボウイと映画「戦場のメリークリスマス」で共演した、あのビートたけしの言葉です。たけしは、1994年のバイク事故で生死の境をさ迷った時に、「今までどうしてこんな生き方をしたんだろう」と強烈に反省し、「人生観の訂正」をせざるをえなかったと告白していますね。
「死というのは突如来る暴力なんだね。…準備なんかしなくたっていいと言ってても、結局死というものには無理矢理対応させられるわけだよ。あまりにも一方的に向こうが勝手に来るわけだから。… 死というものの凄さというのは、自分の人生振り返って、何をしたとか何をしてないとかいうのは全然関係ない。そんなことはビタ一文かすんないんだよ」
(『たけしの死ぬための生き方』)
先に紹介した御文章の大聖世尊章は無常を説くところから始められているところが特徴的です。無常を説く御文章といえば、浄土真宗ではもちろん他の宗派の葬式などでも朗読される「白骨の章」が有名ですが、それ以外にも少なくありません。御文章の特徴ともいえるでしょう。
それだけ仏教では世の無常を見つめることが重視されるんですね。あの道元禅師も「無常を観ずるは菩提心の一なり」と言われています。
デビッドボウイの死を、無常の嵐が吹き荒れる世の中でも変わらない幸福を真剣に求める機縁としたいものです。
この知らせを聞いて僕が思い浮かべてしまったのは蓮如上人の御文章の一節でした。
「上は大聖世尊より始めて、下は悪逆の提婆に至るまで、逃れ難きは無常なり」(『御文章』第3条4通「大聖世尊章」)。
「大聖世尊」とはお釈迦様のことですね。最も偉大な聖人として尊敬されるお釈迦さまも、その釈尊の名声をねたみ、命を付け狙った提婆も、死を免れることはできないと説かれています。
生あるものは必ず死す、と説かれるように、人類の歴史の中で、死ななかった人は一人もいません。
そのように死は100パーセント確実な未来と頭では理解していても、つい遠い先のことと思いがちです。「死なんてまだ先の話。今から考えたって仕方ないよ。」という意見もあるでしょうが、果たして真っ当な人生観といえるでしょうか。
ここで思い出すのが、デビッドボウイと映画「戦場のメリークリスマス」で共演した、あのビートたけしの言葉です。たけしは、1994年のバイク事故で生死の境をさ迷った時に、「今までどうしてこんな生き方をしたんだろう」と強烈に反省し、「人生観の訂正」をせざるをえなかったと告白していますね。
「死というのは突如来る暴力なんだね。…準備なんかしなくたっていいと言ってても、結局死というものには無理矢理対応させられるわけだよ。あまりにも一方的に向こうが勝手に来るわけだから。… 死というものの凄さというのは、自分の人生振り返って、何をしたとか何をしてないとかいうのは全然関係ない。そんなことはビタ一文かすんないんだよ」
(『たけしの死ぬための生き方』)
先に紹介した御文章の大聖世尊章は無常を説くところから始められているところが特徴的です。無常を説く御文章といえば、浄土真宗ではもちろん他の宗派の葬式などでも朗読される「白骨の章」が有名ですが、それ以外にも少なくありません。御文章の特徴ともいえるでしょう。
それだけ仏教では世の無常を見つめることが重視されるんですね。あの道元禅師も「無常を観ずるは菩提心の一なり」と言われています。
デビッドボウイの死を、無常の嵐が吹き荒れる世の中でも変わらない幸福を真剣に求める機縁としたいものです。