1919 1929 1933 そして 2020① | Don Takeのブログ

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久しぶりのブログ更新だが、まりりの話ではない。

 

 

アイドルの話に多く触れているブログでたとえソフトな内容であったとしても政治や社会の問題に触れるのはあまり好ましいことだとは思わない。

たとえば僕が安倍内閣を賛美するような記事を書いたとしたら,安倍総理を嫌いな人はHKT48やまりりに対しても良い印象を抱かなくなるかもしれない。それは困る。僕は安倍総理の支持,不支持よりもまりりに関することの方が大事なのだ。

したがって,今回の記事を書くにあたって別のアカウントを作成しようかとも思ったのだが,散々放置しておいたこのブログが人の目に触れることはあまりないだろうし,一方でたとえ誰か一人でもこの記事を読む人がいるとするならば,その人に不快な思いをさせないように配慮すべきなのは,どのアカウントでも同じことだと思ったので,このまま書くことにした。

 

 

さて,本題に移るとするか‥

 

先日,僕は中学生と話をする機会があった。そのときの雑談の中で僕は,現在の新型コロナウィルスに起因する社会の状況が1929年の世界恐慌以来の混乱を巻き起こすような気がすると言った。

まぁ,さほど深刻なトーンで話した訳ではないし,相手の中学生も「そんなことはないだろう」と笑っていたので,話題はすぐにTBSで放送されている「ひるおび」にときどき出てくるナビタスクリニックの濱木院長は意外に可愛いという内容に変わった。

 

ただ,僕は1929年と現在に類似点を感じているのである。

それは単に経済的な混乱を指すのではない。もっと根深い,政治的な危うさを感じているのだ。

 

 

中学生のとき,公民で「ワイマール憲法」について習った。

「ワイマール憲法」は20世紀の前半としては驚くほど「民主的な憲法」だったようである。それまでの「人権」の概念といえば「自由」と「平等」だったのだが「ワイマール憲法」では世界に先駆けて「社会権」を規定したらしい。

ワイマール憲法は1919年に施行されたようだ。1919年といえば第一次世界大戦の敗戦国ドイツの処遇が決定された年だが,この憲法の成立に際し,連合国の意向が影響したという訳ではないらしい。あくまで当時のドイツ国民が自主的に制定した憲法なのである。

 

 

さて,ここでお気づきにはならないだろうか。

1919年に「世界に誇るべき民主的な憲法」を制定したドイツが,そのわずか14年後にヒトラーを首相に選び,ナチ党の独裁政治を選択していったのである。これは不思議なことではないか。

 

ワイマール憲法成立に先立つ1918年11月,ドイツでは革命が起こった。この革命で皇帝ヴィルヘルムⅡ世は退位に追い込まれる。

ドイツの第2帝政は終わりを告げ,共和制が始まった。民主的なワイマール憲法は共和政府が制定したのだ。

つまり,当時のドイツ国民は「民主主義」を自ら選択したのである。

 

そのわずか13年後にナチ党が合法的選挙で第1党となり,翌年,首相となったヒトラーは独裁へと歩み始める。

「民主主義」を求めてヴィルヘルムⅡ世を退位させたドイツ国民はヒトラーの独裁を妨げることなく容認した。

ドイツ国民は「民主主義」を捨て「強いリーダーシップ」を選択したのだ。

 

 

読者諸氏は「彼らはそうかもしれんが,自分たちは違う」と思うだろうか。

では,次の記事では「なぜ当時のドイツ国民は『民主主義』を捨てたのか」について考えたい。

 

 

一応断っておくが,僕は特定の政党,政治団体,宗教団体等を支持している人間ではない。

国政選挙では必ず投票に行くようにしているが,前回と前々回の選挙では白票を投じている。

 

ここまで読んでくださった方はぜひ最後までお付き合い願いたい。