頭の中がまりりで一杯になっていて,多村さんの挨拶もいい加減にしか聞いていなかったことに気づき,僕はかなり落ち込んでいた。
せっかく頑張っていたのに,嫌な対応してしまったなぁ…。
次に見かけたら声をかけることにしよう。
会場内には,まりり推しも多数いたようだが,システムが良く分からず事前にグッズを購入しなかった人も結構いたようで,まりりのサイン会が始まってもすぐに長い待機列が出来たわけではなかった。
そういう事情もあり,僕は3人目に並ぶことが出来た。
今にして思えば,ここは「鍵開け」を狙うべきだった。
この物販サイン会で「鍵開け」を行えば声優まりりの最初のサインを貰うことが出来たのだ。
一人目の人も別段「鍵開け」を狙っていたわけではなかったようだから,その気になれば僕が最初のサインを貰えていた筈である。
サイン会に臨むときの僕は,まりり推しフル装備だった。
それでも特に周囲の注目を集めたわけではない。
声優イベントだから自重したほうが良いと思ったのは,考えすぎだったのかもしれない。
まりりは嬉しそうに迎えてくれた。
「あっ,クロコダイルのTシャツだね。」
最初はなんのことだか分からなかったが,僕の購入したTシャツにはクロコダイル事務所のロゴが入っていたのである。
「これさぁ…Sサイズしか無いって言われたんよ」
「そうなの?」
まりりは後ろを振り返り,スタッフに確認してくれているようだ。
「あの…,明日はTシャツ入荷するんですか。」
なんと,まりりが前にいるというのに,僕は男性スタッフに話しかけたのである。
男性スタッフは別のスタッフに確認する。
「いや,明日は入荷しないですね」
まりりはその間にもTシャツのサインを書いてくれている。
僕は再びまりりに話しかけた。
「卒業してから,こんなにすぐに会えるとは,僕らは幸せもんばい」
僕の方言がまりりの耳に残ったようだ。
「今日は福岡から来てくれたんだね」
まりりは僕のことを知ってくれてはいるが,元々そういう情報を「釣り」に活かそうとはしないタイプなので,僕に関する情報は曖昧のままになっている。
きっと方言を聞いて福岡在住のファンであることを思い出したのだろう。
僕としても,もちろん詳しく覚えてくれていたらいたで嬉しいには違いないだろうが,僕は「釣り」に活かそうとはしないまりりが好きなのである。
「そうばい! 福岡から来たんばい! だいたい元々僕は遠征とかせんやったんやけん」(「遠征とかせんやったんやけん」は「遠征なんてしなかったんだから」の意味)
「本当。そうだったよねぇ。」
まりりは嬉しそうだ。
「そうだったよねぇ」は話を合せたというよりは本当に覚えてくれていたような雰囲気だった。
まりりがサインを書き終わった。
「明日,また来るけん。」
「ありがとう。」
時間にして握手会なら4,5枚分は話せたと思う。
まりりは日付と僕の名前を書き忘れたようだったが,僕はとても満足だった。
明日もまたまりりに会えるのだ。
イベント会場を離れ,歩いていると自分がかなり疲れていることに気づいた。
体調は悪くないが,長距離移動の後,宇都宮駅からイベント会場まで迷ったので随分歩いた。
前々日まで寝てばかりだったとは言え,昨夜は一睡もしていないのだ。
早くホテルに行ってゆっくりしよう。
次の記事に続きます。