ご無沙汰しております。久しぶりの更新となってしまいました・・・
初七日も過ぎ・・・呑が旅立ってもう1週間以上経ってしまいました。呑がここにいない事が
未だに信じられず、受け入れる事ができないでいます。
皆さん、呑へのたくさんのお悔やみのお言葉、お供え、追悼の記事・・・本当にありがとうございます。
改めて呑はこんなに多くの人に愛されていた事が嬉しいです。心より感謝いたします。
お礼が遅くなり大変申し訳ありません。気持ちの整理ができるまでまだまだ相当な時間がかかりそう
ですがいただいたコメント、メールにゆっくりお返事を書こうと思ってますのでもう少しお待ちください。
私がPCに向かうのは呑とのお出かけ先を調べたり、呑との楽しい思い出の写真を取り込んだり、
呑との楽し日々をブログに書いたり、ここ数ヶ月は呑の病気、薬などを調べたり・・・と
全てが呑だったので実はこうしてPCに触れてるだけで涙が溢れてきてしまいます。
でも呑が頑張った証を残したいので書かせてください。
呑に異変を感じたのは3月半ば頃、痙攣発作が続きとても辛い日々を過ごしていました。痙攣発作の
原因を突き止めちゃんと治療してあげようと全身麻酔でのMRI検査を受けたのが3月30日。
脳、脊髄、椎間板には異常がなく突発性てんかんとの診断でした。てんかんは薬と上手く付き合って
いけば普通の生活が送れると・・・お薬飲んで頑張って行こう!って前向きになった矢先に
新に呑を襲った病。消化器型リンパ腫、ハイグレードタイプ・・この確定診断が出たのは忘れもしない
4月11日。この時先生から『このまま何もしなければ1週間、長くても2週間はもたない・・・』と言われ
目の前が真っ暗になりその後の先生との会話を私はほとんど覚えていません。
私たち夫婦はすごくすごくたくさん話し合って抗がん剤治療を決めました。やると決めても
呑の体調が良くないとできません。その頃の呑は下痢、嘔吐のため脱水症状が酷かったので
抗がん剤ができるかどうか不安でした。入院生活ながらも呑は一生懸命頑張ってくれて
無事1回目の抗がん剤、ビンクリスチン+プレドニゾロン(ステロイド)が投与できました。
2回目の抗がん剤、L-アスパラキナーゼ+プレドニゾロンも順調に投与できました。その後
下痢、嘔吐、食欲不振の副作用があったけどお家に帰る事でよい方向に向かうのではと先生から
提案があり1週間の入院生活を終え久しぶりにお家に呑がいる生活を送れるようになりました。
どんな形であれ呑が家にいてくれる事が何よりも嬉しかったです。食事が喉を通らなかった私は
ご飯が食べれる様になったし呑も辛い副作用が続いていながらご飯(療法食)が食べれる様になり
何だか全てが良い方向に向かって進んでる!って思えてなりませんでした。
次の抗がん剤投与の日までバイトリル(抗生剤)、プレドニゾロン(ステロイド)、デルクリアー(整腸剤)
を服用しながら療法食を頑張って食べてくれた呑です。
3回目の抗がん剤のため血液検査、総タンパク質とアルブミンが低いものの腎機能、肝機能は
正常範囲内。すごいぞ呑!
サイクロフォスファマイド+プレドニゾロンの服用完了。すべてが順調に進んでると・・・
GW前に4回目の抗がん剤予定だったけど血液検査の結果が良くなく体重も5.3㌔まで激減して
しまい抗がん剤は延期になってしまいました。
連休中はご飯が食べれたり食べれなかったりを繰り返しててそれでも薬はジャムと一緒に口の中へ
入れると頑張って飲んでくれてました。病院がお休み中は処方されてるお薬だけが頼りだったから
呑が頑張って飲み続けてくれた事、これは呑が生きようとしている証だと。
おしっことうんちの出が悪くなっていてかなり心配だった事を思い出します。
連休明けの診察、この日はいつにも増して病院は混みあっていたけど早めに診てもらえました。
おしっこの出が悪くなっていた事で腹水や胸水が溜まってるんじゃないかと心配しましたが
抜くほどではないとの事で安心しました。この日は血液検査で初めて白血球と肝機能の数値が
悪くまたしても抗がん剤はできませんでした。この時点でガツンと癌が小さくなってる子が多い中
呑の癌はしつこくほとんど小さくなっていませんでした(泣)でも食欲がなくても頑張って口から
何かしら食べてくれた呑の体重は少し増え5.8㌔に。これも呑が頑張ってた証です。
数日様子を見て血液検査で異常がなければ次へと進むはずだったのです。
それから2日後呑の呼吸が辛そうに・・・病院へと急ぎました。リンパ管が破裂してしまい
呑の体に吸収されないといけない水分や脂質などが吸収されずに外へあふれ出てしまっていると。
(気が動転していたのでこの表現が正しいか自信がありませんが・・・)
数日でこの変化には先生も目を疑うほどでした。先生がビックリするくらい一気にたまってしまった
みたいで。そして憎っくき、憎っくき呑の癌が急激に大きくなってしまったのです(泣)
一番大きかったもので最初ピンポン玉くらいの大きさだった癌・・・それが3回の抗がん剤で少しだけ
小さくなっていたのに大きなレモンくらいの大きさにまでなっていました。
リンパ腫は比較的抗がん剤が効く子が多い中呑には効果が薄かった・・・副作用がほとんどない子も
いる中呑は下痢、便秘、嘔吐、食欲不振と強く出てしまった・・・年齢が若いので予想以上に
進行が速かった・・・最悪のケース(涙)でも
先生が『呑はすごく頑張っていると・・・普通この状態だともうダメだと・・・呑はすごく頑張って生きようと
していると・・・』
『もう抗がん剤ができる状態ではなく食べれる物呑が大好きな物を食べさせてあげてたまったお水を
抜いてあげてなるべく苦しくないようにしてあげましょうと・・・』
あまりにも辛い告知でした。それでも帰宅後の呑はお水を抜いてもらった事で呼吸が楽になり
ご飯も私の手から少しずつ少しずつ食べてくれました。
5月12日土曜日、お水を抜いてもらって楽になってた呼吸がまた辛そうに・・・お水を抜いてもらえば
楽になる!病院へ走りましたが先生から『毎日は抜けないと・・・心臓の動きがかなり弱いと・・・
そして体温が下がってると・・・脱水症状も酷いと・・・かなり状態が良くないと・・・』
ぐったりとしている呑は点滴をしてもらいました。そして『今日の夜か明日か・・・2、3日が山と・・・』
旦那さんは天を見上げ私はオロオロ泣いてしまいました。泣きながら呑を抱きしめて帰宅した事しか
思い出せません。
この日の夜お友達のmihoさんとチョコパパが呑に会いにきてくれました。呑はすごく嬉しそうでした。
もう動く事はできなかったけど毛布の中でしっぽをブンブン振って喜んでいました。
目だってこんなに輝いてたし。この日は朝から何も口にできなかったのにこの時は氷をガリガリ
食べてもっとちょうだいって目で訴えてきてくれたし。お水だってガブガブ飲んでくれたし。
お友達が会いに来てくれたからパワー復活!夜も私と旦那さんの間でぐっすり眠ってました。
ぐっすり寝てくれるのって何日ぶりだろう。寝て起きたらさらにパワーアップだなっなんて思いながら
呑の寝顔を見てました。
5月13日早朝5時、呑の呼吸がすごく荒くて浅くて・・・氷をお口のところへ持って行くも昨晩の様に
ガリガリすることはできません。お口を開ける事もできず。お水を含ませたガーゼで唇を濡らしてあげる
事しかできませんでした。それでも私と旦那さんが呑の名前を呼び、大丈夫だからねって話しかけると
しっかり目を開けて私たちに答えてくれてました。8時30分過ぎ横たわる呑のお尻からうんちが・・・
2日ぶりのうんちは軟らかめでしたが形あるものでした。呑はこの日以外はどんなに体が辛くても
動けなくてもおしっことうんちの時は必死で起き上がりトイレシートが敷いてあるサークルの内へ
自力で頑張って移動してたからこの時もピクっと体を動かしたのですがそれ以上は無理で・・・
呑は私たちの呼びかけにはずっと目で答えてくれながらもどんどん呼吸が荒くなりそれでも頑張って
くれて。お布団の上に横になってた呑をベッドに移してそのまま病院へと急ぎました。
後部座席に呑と私。呑は『ハッハッハッハッ』と呼吸しながらずっと私を見てて、私は呑にずっと
『大丈夫、大丈夫、大丈夫、もうすぐ病院だから頑張って』と。頑張ってる呑にこれ以上何を
頑張れと言うのか・・・『まだ嫌だよ、呑ちゃん逝っちゃ嫌だよ』とそんな言葉を言い続けてた私・・・
後もう少しで病院、この信号を曲がれば病院、その最後の信号の手前で呑は『アフッアフッアフッ』と
声にならない声を発しました。最後の力を振り絞って何かを伝えてる様な・・・
病院へ着き呑に『待ってて』とだけ言葉をかけ受付へと私は走りました。車を降りて車に戻るまで
1分もなかったと思います。旦那さんだけが見た呑がほんの少し苦しむ姿・・・私が車に戻った時
旦那さんが泣きながら呑のベッドを抱きかかえていました。すぐに診察室へ入り・・・
その後の事は何が何だかよく覚えていません。先生が『今、心肺停止状態です。電気ショックを
あたえて蘇生しますか』と続けて『呑は本当に最後までよく頑張ったから僕は蘇生はススメない』と
蘇生は断り体をキレイにしてもらいました。
5月13日午前9時34分・・・永眠。
たくさんのお友達が呑に会いに来てくれました。呑くんホントよく頑張ったねとみんなが褒めてくれたよ。
呑本当によく頑張ったもんね。みんなが呑にたくさん話しかけてくれました。その話をしっかり聞いてる
みたいな呑のお顔なのです・・・呑みんなが会いにきてくれてよかったね。
皆さんの応援が闘病中の呑に届きここまで頑張ってこれました。ありがとうございました。
泣きました。旦那さんと二人で泣いて、泣いて夜を過ごしました。それでも涙はなくなりません・・・
日が昇りお別れの朝がやってきました。冷たくなってる呑をギュッと抱きしめ泣きました。
行きたくないけど行かなければ・・・いつものお散歩コースをゆっくりゆっくり車を走らせ
慈妙院動物霊園へと。旦那さんが『どこかに出かけるみたいだな、家族旅行に行くみたいだなっ』て。
呑が元気になったらあそこに行こうとかあそこにも行きたいとか言ってたのに向かう先は
お別れの場所。寂しい・・・寂しすぎる最後のドライブでした。
呑らしく最後まで呑らしく・・・飛行機雲に乗って澄み切った青空へと旅立ちました。
呑の骨は頭、体の上部、足はとてもキレイな状態でしたが癌に蝕まれていた体の下部は
真っ黒でした。呑ちゃん辛かったね・・・小さな呑の体の中にこんなにも癌が(泣)
癌が憎い、憎くて、憎くて・・・
呑は小さくなってお家に帰ってきました。今はたくさんのお花に囲まれて過ごしています。
本当にありがとうございます。
呑ちゃん、
寂しいよ。心に開いた穴はまだまだ埋められそうにないよ。
お家の中は旅立ったあの日と何も変わりません。呑ちゃんのニオイや毛や全てのものが愛おしくて
愛おしくて、愛おしくて・・・何も片付ける事ができないの。
ママは日中呑の部屋に入ってボーっとしてる事が多いです。このお部屋には呑の洋服がたくさん
かかっていて呑のニオイがいっぱいするし、呑がシャンプーしてたとこだから呑の毛がたくさん
落ちてるし呑がいるような気がするから・・・
パパは頑張って普通に過ごそうとしてるけどバナナ食べてる時に呑が足元にいないから、きゅうり
食べたって呑が来ないから、ソファーに座った時に呑がお腹に乗ってこないから『どん、どん
なんでいないんだよー』ってすごく寂しそうだよ。
2階の寝室で眠る事ができなくてリビングにお布団敷いて寝てます。呑が最後まで頑張ったあの
お布団で眠りたいから・・・
パパもママもまだまだ寂しくて、ただただ呑に逢いたくて・・・夢でもいいから逢いたいです。
寂しいとか逢いたいとかばかりでごめんね。ありがとうって言えなくてごめんね。
四十九日までにはありがとうってちゃんと言えるかなっ。言える様に今はまだいっぱいいっぱい
泣かせてね。