プロフィールにも書いてるように私は小学校6年生の頃から脱毛(薄毛の様に)が始まりました。
今は汎発型の脱毛症(全身の毛が無くなってしまう)では無く、髪の毛だけが抜けている、でも全くない訳では無い全頭脱毛症になってます。
なので眉毛もまつ毛も脇とかすね毛。下の毛とかは全部普通にあります。
先日、昔のアルバムを引っ張り出して整理をしてて、脱毛の様子が写真ではっきり分かってちょっと落ち込む
その気持ちを浄化させたくもありブログに挙げます。
過去のブログでも書いてる話と重複する部分もあるし、見たくないわ。って方はここでスルーをお願いします🙇♂️
小学校4年生。この頃は脱毛は無かったです。
5年生。この頃も無かったです。
ただ、5年生の終わりごろなのかな?その写真には兆しがありました。
幼稚園の頃から白髪は多かったんですが、白髪もかなり目立ってるけど、脱毛が始まってる事もはっきりと分かる
6年生。この頃から頭頂部はやばかったと思います💦
十三参りの時なので中学一年生。12歳。
今見ると部分ウィッグか見えないように髪の毛をくくってって言いたくなる。
2月生まれなので13歳。
どんどん進行してるのが分かります。
この頃から自分でも気になりだして出かける時はカチューシャをよくしてました。
どちらも中学3年生。
一時期戻ってたのかな?それとも写真の角度?分かりませんが、卒業式の時にはこんなんだったんだ
高校2年生の時です。
高校はカチューシャがOKだったので、太めのカチューシャを毎日付けてました。それで少しでも誤魔化せていると思ってたけど、少しでも下を向いたらこんなになってたんだ
高校に入る時に母から「公立では無いし、同じ中学から同じ高校に行く子は少ないんやからかつらを着けなさい!」と何度も入学式まで言われ続けましたが、頑なに嫌がりました。
高校3年生で血尿が出た為入院。
腎臓の検査入院と、その時に初めて母が私の髪の毛を先生に相談し、内分泌のバランスがかなり崩れてる事が判明。
その原因が多嚢胞性卵巣症候群だということも判明。
「多嚢胞性卵巣症候群があるから男性ホルモンが多くて、その影響で髪の毛も薄くなっている」との先生からの返答で、私はこの病気があるから髪の毛が少ないんだと諦めました。
多嚢胞性卵巣症候群は完治させるのではなく、付き合っていくしかない病気。普段の生活に支障は無いんですが、妊娠がしにくい病気ではあるので、子供を望んだ時には不妊治療が必須になる。と言われました。
18歳の時です。
この頃もまだウィッグは被らなかったです。
高校の卒業式の日に、卒業式が終わって制服のままで、何も聞かされずにウィッグ店に連れて行かれました。「どんなんでも良いから1つ選びなさい!そして明日からこれを着けなさい😡😡💢」と母から言われ、買っては貰いましたが、そのウィッグはいかにもウィッグ着けてます!なウィッグで嫌で仕方が無く、全く付けませんでした。
高校を卒業してから、バイトに行ったりして、ウィッグが必要だと感じる事も多く出てきたり、人の目に耐えられなくなった事。アデランスさんで、自然なウィッグに出会えたことをきっかけに、19歳頃からウィッグを被るようになりました。
外に出る時だけ。家ではウィッグは外してました。
あの時代は今のように脱毛症割引なんて無くて、かなり高額なウィッグでした。
20歳になり、正社員で務めた事をきっかけにウィッグを自分で作り直しましたが70万~80万位だったかな毎回ローンで支払って、ローンが払い終わる頃にはまた新しいウィッグの購入の為にローンを組み直す。この繰り返しでした。
22歳位の時に、24時間つけっぱなしにできるウィッグに変更。初めは自毛にウィッグを編み込んで留めてましたが、ずっと引っ張られてるから自毛が無くなってくる。自毛で編み込んで留められない位に自毛が減ってきてからは、ボンドと、テープ。でマジックテープを固定して、頭とウィッグに付いてるマジックテープで固定。前はテープのみで固定に切り替えました。
でもこの時もウィッグはかなり高額(60~70万)今までのローン地獄からは抜け出せず、旦那さんと出会って結婚した時もこのタイプのウィッグでした。
今のアジャスタータイプに切り替えたのが息子を産むのに入院した後で、スヴェンソンさんのウィッグに切り替えましたが、この時も50万。
ここまでは全てフルオーダーだったし、割引も無かったのでかなり高額
次のウィッグをどうしよう💦どうやってお金を工面しようかと悩んで色々と検索して見つけたのが、脱毛症の方が書いてらっしゃったブログ
それからはブログを通して色んな情報を貰い、昔に比べたらかなりお手頃な値段のウィッグに辿り着いております
あまり詳しく書いていくときりが無いので、ざっと書くとこんな感じです。
実はこの頃の写真を自分で見るのも嫌でずっと封印してましたなので、今回の整理の時に旦那さんも初めて見る写真ばかりです
自分が見るのも嫌なのに、旦那に見せるわけない
多嚢胞性卵巣症候群で髪の毛が少ないんだ。とお医者さんから言われましたが、大人になってから身近に多嚢胞性卵巣症候群がわかった方もおられましたが、髪の毛は薄くないし、芸能人でも釈由美子さんや矢沢心さんも多嚢胞性卵巣症候群を持ってらっしゃる。
あの時の説明っておかしくない?の疑問を改めて抱いて皮膚科に。息子の通院ついでに自分も見てもらいました。その時に言われたのが全頭脱毛症。
初めて自分のはっきりした病名を聞きました。
ただ、今の状態を見るとそうだけど、抜け始めから診てないから分からない。と言われた病院もありました。3箇所行ったけど、全部匙を投げられました
今ならきちんと脱毛症を診て貰える先生にかからないと駄目なんだとわかってますが、わかってなかった時だったからやっぱりもう無理なんだなで気持ち終了しちゃいました(´>∀<`)ゝ
コロナが落ち着いたらきちんと治療してみたいな…とは思ってる。自分の中でずっと諦めの気持ちしか無かったけど、ひょっとしたら可能性あるのかな❓なんて思いもむくむくと出てきだしてます。
これも円形脱毛症を考える会のセミナー聞いたり直接先生と話をした事がきっかけ。
思いつくままに書いてるので、取り留めは無くなってきてますが、ウィッグを着けないで学校に通う。っていう選択肢もあるということ。
カミングアウトするのかどうかも。
自分がどうしたいのか。これが1番大事
私みたいに後からなんでウィッグしなかったんだろって思うかもだけど、当時はウィッグをしない!が私の中での結論だった。
急にウィッグをしていって、あからさまにばればれよりは、ウィッグを被らない選択肢を選んだのも私
色んな選択肢はあるんだという事。ウィッグに関しても、今は選択肢の幅はかなり増えてる。だったらウィッグ選びも含めて様々な選択肢があるんだから、そのどれを選ぶのかは自分。
押し付けられるとこっちも意地になるし、嫌な事として残っちゃうと思うんだよな(私だけかもですが)
何を言いたいのか分からなくなってるのと、過去を改めて見ると色々と思う事もあってちょっと辛い
髪の毛の事だけではなく、母とのやり取りや、母の離婚、再婚、そしてまた離婚…
ちょっとふつふつと色んな事を思ってしまいます。
母とは色んな意味で本音で話はできないだろうな
ウィッグの事や髪の毛の事。相談したいし、して欲しい。って思うけど、それは無理なのかなと諦めるようになってきました。
やっと、脱毛症は病気なんだとはわかって貰えた様に思います。母の中では脱毛症は病気では無かったんです
さすがに息子に「あーちゃん何言ってんの?脱毛症は病気やで!だからママは脱毛症っていう病気なんやで」と突っ込まれた事が大きかったよう。
息子の方が理解してくれてる
私は母と髪のことやウィッグについて、相談もしてこなかったし、相談しようとも思わなかった。
3年ほど前までは髪のことを話すのさえ嫌だった。
ブログを読ませてもらってて、子供さんの為に一生懸命なお母さん達を羨ましく思ってしまいます
きっと私も母にもっと相談したかったんだろうな…
暗い内容になってしまいすいません🙇
最後まで読んで下さりありがとうございました🙇♀️