93年、天皇賞(春)。
極限まで削ぎ落とした身体に、「鬼」が宿る。
王者・メジロマックイーンの三連覇を阻んだ、漆黒のステイヤー。
ヒールか。ヒーローか。
悪夢か。奇跡か。
そのウマの名は―
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※原作7話・8話をベースに、独自解釈が入っています。
『前回のトウカイテイオーとメジロマックイーンの対決が記憶に新しい天皇賞(春)。今回も注目されるのは、三連覇が懸かるメジロマックイーン。立ちはだかるのは、ミホノブルボンの三冠を阻んだ菊花賞ウマ娘・ライスシャワー。めっきり力を付けているマチカネタンホイザなど、今回も強敵揃いです』
「……」
京都レース場内にある控室のスピーカーから流れる実況の赤坂さんによる春の天皇賞の展望なぞ、GⅠレース仕様の勝負服に着替えているライスシャワーには雑音にしか聞こえなかった。
思えば、ライスは当初春の天皇賞を走るつもりはなかった。
その原因は、菊花賞に遡る。
中央三大クラシックの皐月賞・日本ダービーを制し、シンボリルドルフ以来の無敗の三冠が懸かっていたミホノブルボンに勝利し、ブルボンの三冠を阻止してしまったのだ。
「祝福の名前」から名付けられ、小さい頃からキラキラした物に憧れていたライスは、8着に惨敗した皐月賞で、圧倒的一番人気で1着のブルボンのキラキラさに惹かれていき、憧れのブルボンの背中に届こうと、続く日本ダービーは1着のブルボンの次の2着。そして迎えた菊花賞はゴール前の直線でブルボンを追い抜いて遂に勝利し、ライスも皐月賞でキラキラしていたブルボンのようになれるのかと思っていた。
「ブルボンの三冠が見たかったのに……」
「なんでぇ~」
だが、ライスの勝利に場内からの歓声はなかった。
無理もないだろう。観客が見たかったのは、シンボリルドルフ以来の無敗の三冠を決めたミホノブルボンの姿のはずだったからだ。
ライスが菊花賞を1着でゴールした瞬間、場内がため息に変わっては、口から出るのはライスへのブーイングと、憧れていたブルボンの夢を壊してしまった事に居ても立っても居られずに涙を流し、逃げるようにターフから立ち去る事しか出来なかった。
いくら頑張って走っても、誰にも認められない。
加えて春の天皇賞では、メジロマックイーンの三連覇にみんな期待している。
そんなレースに出て勝っても、誰も喜ばない。勝ってもみんなを不幸にする。
「ライスシャワー」という幸せな「祝福の名前」の地盤の重さに耐えきれず、もう走らないと決めた……はずだった。
そんなライスに喝を入れたのは、ブルボンだった。
「貴方は私のヒーローなんです!強いウマ娘なんです!天皇賞に出て、それを証明しなさい!」
最初は「四の五の言わずに走りなさい!」と訳が分からなかったが、菊花賞後に大きな怪我をした事、いつまた走れるようになるのか不安に押し潰されそうになった事、それでも折れずにいられたのはライスがいた事と、ライスによって無敗の三冠の夢を壊したが、「次は勝ちたい。今度は負けたくない。強いライスと走りたい」というそれ以上の夢と希望を与えてくれた上、「貴方はヒールじゃない。ヒーローなんです」のブルボンの言葉に揺れ動いた末、彼女の気持ちを受け取り、怖いという気持ちはまだあるも、もう一度頑張ってブルボンと走りたい思いが芽生え、春の天皇賞への出走を決意したのだった。
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GⅠレース仕様の勝負服に着替え終えて控室から出たライスは、地上のターフへと続く地下通路内で、今回の春の天皇賞の最有力ウマ娘であるメジロマックイーンの姿を確認した。
チーム“スピカ”に所属するマックイーンは、前回の春の天皇賞では同じ“スピカ”に所属する無敗のトウカイテイオーとのTM直接対決を制して二連覇を決め、三連覇が懸かる今回も、前走の大阪杯で復帰戦ながらレコードの圧勝もあって圧倒的な一番人気に支持されていた。
そんなマックイーンに勝つべく、ライスは桜並木の河川敷の遊歩道でトレーニングしているマックイーンと何度も競い合うが、尽くマックイーンに逃げられてしまっていた。
春の天皇賞の距離は3200m。200m短い3000mの菊花賞でブルボンに勝利と長距離は得意な方のライスだったが、過去二回も春の天皇賞を制したマックイーンとの実力差は歴然。
このままではマックイーンに勝てないと踏んだライスは、走力や経験値で勝てないなら精神力で勝とうと徹底的に自分と向き合って一人になる為、外泊の許可を貰い、山奥の廃校で密かにトレーニングに励む事にしたが、ある日そこに、この間ライスがトレセン学園を休んでいるのを知ったブルボンがやって来た。
「どうしてここが分かったんですか?」
「寮長のヒシアマゾンさんに聞きました。無断で外泊するような方ではないと思いましたので」
「そうですか」
走り込みによる泥まみれのシューズを見て驚くブルボンに、レースへと引き戻してくれた恩もあって今回のトレーニングの目的を伝えては、最後に自分らしくない持論で締めた。
「精神は肉体を超越すると思います」
「……同感です」
少しの間からのブルボンの返答だったが、流石「サイボーグ」と呼ばれただけはある返答の後、ライスはトレーニングに戻った。以降はブルボンも見守るトレーニングは、持ってきた何十足のシューズが泥まみれで増えていく一方、ライスの中に何かが宿ろうとしていた。
―マックイーンさんに勝つ為なら、ライスは……「鬼」になる。
こうして迎えた春の天皇賞当日。マックイーンとは何度も逃げられたトレーニング以来となる再会も、マックイーンの顔つきがまるで猛獣でも見ているかのようなように見えた。
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スタート直前にマックイーンがゲート入りを嫌うアクシデントがあった春の天皇賞は、スタートから大逃げするメジロパーマーを先頭に、レースは二周目の京都レース場の三コーナーの坂を上った所でマックイーンがスパートをかけ、四コーナー後の直線でパーマーを抜いて先頭に立った。
一方、スタートからずっと後ろからマックイーンをマークするライスも続けてパーマーを抜き、外からマックイーンとの差を詰め、遂に横に並んだ。
―何度も逃げられて追い付けなかったマックイーンさんに追い付いた。トレーニングの成果が出ている。精神は肉体を超えられる。
しかし―
「オイオイ、止めてくれよ!」
「マックイーン!頑張れ!」
「ライスシャワー!またヒールになるつもりか!」
今まさにマックイーンを抜かそうとしている時に、場内からはまだマックイーンの三連覇を望む声が聞こえる。
「ライスは……」
だが、一人のウマ娘の偉業が懸かる大記録の為に、邪魔者な他のウマ娘達には負けろと?勝つなと?
「ヒールじゃない……」
走る為に生まれてきたウマ娘は、瞳の先にあるゴールへ誰よりも速く駆け抜けるが使命。例えそれが、一人のウマ娘の偉業が懸かる大記録の夢を壊して「ヒール」と言われようと……
(貴方は私のヒーローなんです)
―こんなライスを「ヒーロー」と言ってくれたブルボンさんの為に!
「ヒーローだ!」
次の瞬間、「たった一人のヒーロー」を選んだ瞳から蒼い炎を宿りし「鬼」は、マックイーンを抜いて先頭に立ち、そのままゴールへと駆け抜けた。
3分17秒1の勝者へのレコードタイムが出ても尚、場内は静寂に包まれていた。
初めから分かっていた。観客が見たかったのはレコードを決めて1着でゴールしたライスではなく、マックイーンが1着でゴールし、春の天皇賞三連覇を決めた姿のはずだったからだ。
「またやられたよ……」
「マックイーンの三連覇、見たかったなぁ……」
「なんでだよ!」
菊花賞と同じ、また夢を壊してしまった。けれど、もう逃げないと決めて勝ち取った1着は誇るべきと、ライスは自分へのブーイングが聞こえる場内に向けて一礼しただけで、今度は涙を流す事なくターフから去ろうとしたその時、どこからか拍手が聞こえた。
拍手が聞こえた方へと向くや、ライスによって春の天皇賞三連覇の夢を壊してしまったマックイーンからだった。
マックイーンだけではない。パーマー、マチカネタンホイザ、イクノディクタスからも……誰にも祝福されなかった菊花賞と違い、競い合い敗れた者からのささやかな拍手に見送られ、ライスはターフを後にした。
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「優勝おめでとう。ライス」
地下通路で一人歩くライスを、ブルボンが迎えてくれた。春の天皇賞への出走を決意した日に初めて「ヒーロー」と言ってくれたブルボンを見て、ここまで泣かずに我慢していた涙が零れ始めていた。
「また……たくさんの夢を壊してしまいました……」
「それが「勝つ」という事です。勝負ですからね。誰かが勝てば、誰かが傷つき、夢破れる。そういうものです」
ブルボンの言う通りだ。勝負に「勝つ」という事は、誰かが負ける。それは誰かの夢を叶えると同時に、誰かの夢を壊してしまう。そんな非情な勝負の世界に、ライスやブルボンらウマ娘達は戦っているのだ。
「ブーイングって、痛いんですね。やっぱり……痛かったです」
「ブーイングはチャレンジャーの勲章です。傷つく必要はありません。でもいつか、これが歓喜の祝福の声となる日は必ず来ます。貴方が勝ち続ければ、きっと……」
そうブルボンが励ましてはライスの元へと近づき、首元を撫でながら、自分の「祝福の名前」を唱えてくれた。
「だって、貴方の名前は「ライスシャワー」なんですから」
そうだ。自分の名前は「ライスシャワー」―「祝福の名前」だ。今は祝福なき「たった一人のヒーロー」でも、勝ち続ければ、いつかは歓喜の祝福の声で「みんなのヒーロー」と認められるその日まで……
―もう、泣かないよ。
「うん……ライス……頑張るね」
「それでこそ、私の「ヒーロー」です」