寝ても覚めてもノートルダムでいっぱい(笑)





海カジがなぜ顔を伏せるのか、醜さを、そして今まで接してきた人がフロロだけであるため、怖さが先立つというのは理解していたけど、さらに、人の心理を研究したのかな?

人は未来のことや、例えばなどのことを考えるときは↗に向き、過去のことを思い出す時は↙を見ることが多いとおもうけど、↗はこれからの新たなイメージ(飯カジは常に上を前を向いていることが多い、↙は、内面的な自己との対話を表し、内にこもり(フロロによって抑圧され、閉じ込められている自己)常に自己との対話のみをしてきた海カジはまさにこちらにあたるかと。

海カジは、フロロを師として尊敬してるけれど、恐れのほうが強い。黒く汚していない右目が、怖さに満ちていた。

抑圧された人は、何にたいしても怖さが先立ち、“踏み出す勇気“は本当に恐ろしいことだと思う。

2列目センター下手よりの座席からは、海カジが観ている世界を観ているようでした。

フロロが信じて疑わない導くということ、抑圧し、自分の意のままに従わせてる姿に、自分が重なりました。親の信じる子供の幸せ=導く、ということを。

ノートルダムは、自己を省み、対話をしてみる、そんな機会をも与えてくれてるのかもしれない。

先日、観劇かえりの男女ふたりの会話で、うまくいえないけど、やさぐれてるヤンキーに観させたい、世界が変わるよ!と男性が興奮ぎみに話していた姿を思い出した(女性がかいほーくんのファンのようでとても誉めていたけど、男性も観劇してすごくかいほーさんスゴいと連発してるのを、漏れ聞こえて心で激しく頷いていた私(*^^*))

深化の海カジ、まだまだたくさんの方に観て、感じて、人と自己と対話していただきたいな。