3列目センター上手通路脇

前回の席の逆でしたので、同じ目線の違う角度からで、また違うみえかたがしました。

今日の海カジは穏やかで、だからこそ、外の世界への怖さや恐れが全面に出ていたように感じた。

怖がっている自分は、勇気もなく弱い自分=醜い自分。

フロロにお前は醜い、人は排他的であるから、私がお前を唯一守ってやれる(だから、ここ(お前の聖域)にいて、私の言うことを聞いてさえいれば何も恐れることはない。その言葉をカジは、本当に信じていたんだと思う。でも、これはいわゆるフロロのマインドコントロールだよね。

でも、“人“であるが故、自我があり、“気持ち“がある、胸の奥底に閉じ込めた“想い“希望という名の“勇気“

ガーゴイル(石像)の言葉がカジモドの本当の気持ち。

Out There 邦題は♪陽ざしの中へ

訳詞を担当した高橋さんは、冷たい石の壁から外へ人の温もりを感じる陽ざしと訳したとお話になっていましたが、海カジの陽ざしの中へは、閉ざし心の奥底に閉じ込めていた“ヒカリ“の下へ行くんだ‼怖さの壁を壊して振り絞った勇気の決意の声を感じます。歌い上げでなく、強調したい言葉を言葉としてはっきりさせるような、歌いかたになったことで、よりそう感じさせます。

飯カジは、憧れていたヒカリの中にいける喜びに満ちたシーンで、海カジは必死な想いが全面に出ていて、ちょっと観るものも辛さを感じてしまうかもですが、飯カジは、カジモドの“陽“、海カジは“陰“な部分と捉えていて、人は2つの相反するものがあってそれでひとつのひとりの人間がだから、ふたりのカジモドを観ると繋がります。

この日は穏やかな海カジだったからか、カテコで私、笑顔になれました。

最後まで、笑顔で拍手をエールを贈れました。人は鏡だなあ、と実感した観劇でした。

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命を削って感動というものを届けてくださっている。日々、揺れ動く海カジモド、応援していますp(^-^)q