お席は2階A席下手端から2つ目






かなり観切れるかな?と覚悟していたのですが、クワイヤ左側8名全員見えない

それと、左壁の下(カジと吉田さん(石像))の最初のあたりは見えず、上でっぱりのあたりは、カジのラストの縛られている姿は見えないかなくらいで、やはり前方列であれば問題なく見えます。
 
サイドからだと本当にいろんなものが見えてきますね。

いままで表情と指先の動きには注目していたのですが、頭の細かな振りや背中そして指先だけでなく腕全体から”カジモド”として語りかけていたことに”やっと”気づきました。
 
表情豊かなかいほークンがあえてカジモドを演じる上でそれを封印したのかな。

つい、表情ばかり追ってしまうけれど(眼は言うほどモノを語るというし)演技とは身体すべて使ってのものですもんね、だからあえて彼の持ち味であるものを封し”カジモド”と対峙したのかと。
 
海カジは、外の世界への”憧れ”をずっと抱いてでも、気づかれないように心にしまい、石像=自分自身の心の声と対話していた。
 
会話とはもう一人の人間が必要だとフロローの言葉があるんだけど、石像はもうひとりの自分なんだよね、カジモドにとっては。普段は、抑圧され、蔑さんだ自分。でも・・外の世界にはヒカリ輝く世界が、心の奥の自分が顔をだす世界があるはず・・と思いながら、塔の上からいつも見ていたのだというのが想像できた。
 
エスメラルダに、自分の醜い顔にそっと手をあて優しくされた時に、石の心が砕け、塔の上まで来てくれた彼女を”嬉しい”という想いが、口元をゆるませ、欄干の上を指を走らせるしぐさでとっても伝わってきて、”愛らしく”涙腺決壊です。
 
ただ、それを見せるのは”信じた”エスメラルダの前だけ。信じられると確信したその時から、カジモドは決めていたのだなというのが、やっと理解できました。
 
”サンクチュアリー!!”
 
その繋がる意味がストンと落ちました。
 
芝フロローから野中フロローそして再び芝フロロー

芝フロローは、レミゼのジャベールのような、己の正義、信じる路を守っている人。
ジャベは己の正義を自身で曲げたことにより、自ら命を絶ったけれど、フロローは己の不義を他人に押し付け、亡きものにすることによって自分の不義をなかったものとし、己の正義は正しいと曲がった正義の人物。己の汚い(欲)抑圧されねじ曲がった想いを閉じ込め、それをカジにも従わせようとする。
 
美南エスメラルダは、慈愛あふれるエスメラルダ。

自分という芯をしっかりもった”凛”としたそう、大和撫子(マダムバタフライを思い浮かべた)のような女性。どんな(権力)力にも屈しない、しなやかで柔らかな女性。カジモドが惹かれるのは、そういったものもあるけれど、もしかしたら、ジプシーだった母の想像の面影などがあるのかも・・
 
この日で7回目の観劇でした。
海カジ→飯カジ→海カジ→海カジ→飯カジ→海カジ→海カジ
 
この作品が訴える”何か”いろんな”何か”を掴めてきた2016ラスト観劇&心に響いた感激な瞬間でした。
 
2016年アラジンに初まり、ライオンキング、ジャージーボーイズ、バイオハザード、そしてノートルダムの鐘といろんな海宝くんを魅せて、心に響かせてくださってたくさんの”気づき”を幸せを頂いた一年でした。
 
”感謝”
 
心が満ち足りた2016年でした。
 
幸せです(*^_^*)