平タツミは武装して辻に立っていた。その周りを地元の同氏族が囲んで、紙吹雪でも散らさんばかりだ。タツミは自分を囲む連中をあまり見ていなかった。母親もいた。だが母親のことも見ていなかった。
鎧が重いな、と思っていた。このまま三日も着てたら、鎧の重さでひどい肩こりになりそうだ。怒り肩の人はなで肩になるにちがいない。

「平タツミ君の出征を祝って、万歳三唱しましょう」

地元民の一人が言った。太郎さんも花子さんもそれがいいそれがいいと言った。

「平タツミ君、ばんざーい」

タツミは万歳の輪のなかにいて、でで子の姿を探していた。タツミを祝福する群れにいないのはたしかだった。群れから離れた木の下にポツンとでで子がいるのを見つけた。あいつ、とうとう別れの挨拶をしないつもりだな。
つなぎとめてある馬のそばまで歩いた。馬はこれから背中に乗る人間のことなど知ったことかという顔つき。頬のあたりを撫でたら、馬は澄ましてそっぽ向いた。タツミはこの部位を頬と呼ぶべきなのだろうかと考えた。首と頬と顔はつながっている。そもそもどこからが顔なのか。馬にうなじは存在するのか。

「ヒヒヒン」と馬が言った。

タツミは馬語が話せないからその意味はわからない。

「タツミ」

タツミの袖を引っぱる者あり。振り返ると、でで子だった。

「行っちゃうのね」

「行くよ、そりゃあ」

「手紙、書いてね」でで子がタツミの手首をぎゅっと掴んだ。怪力だった。手首が痛い。こういうのを鬼力っていうんじゃないのか。「書くから」

「ああ。書くよ」

タツミはうなずいた。

「じゃあ、気をつけてね」

「うん」

タツミはやにわにでで子を抱きしめた。

「馬鹿」

でで子が大きな声を出した。
それから馬は背中に少年兵を乗せて走り出した。馬の頭は永遠に向かったと初めて思うのは、もうしばらく後の話になる。それにしても馬の頭ってどこからどこまでなのだろう。


  ~タツミからでで子への手紙~


 平でで子様

戦場に出て十日になる。カエルとヤマカガシを日替わりで見る。田舎のばあさんには下品なのが多い。道端で野ぐそをするばあさんを見てしまった。見たくなかったけど。そのばあさんは俺に気づいて、排便しながら話しかけてきやがった。糞しながら話しかけるなよ。

「みんなわたしのことをね(ブリブリ)下利便ババアなんて呼んでるんだよ(ブリブリブリ)気に食わない話だよホントに(ブリッブリッ)下利便のどこが悪いんだい?(ブリリリブリブリ)液体と固体の違いじゃないか。たかだか液体と固体だよ(ブリリアント)」

臭いから近寄らなかった。それ以上に、このばあさんが腰をかがめたまま俺のほうへズイズイ寄ってくるんじゃないかと思って恐ろしかった。源氏より怖い。

               平タツミ


 平でで子様

昨日、林のなかで楠の大木を見つけた。修養にもってこいだ。さっそく根元に座って坐禅を組んだ。瞑想は武士には大切なことだ。俺みたいないっかどの侍になればなおさらだよ。
小一時間瞑想して、用を足しに移動して、また楠に戻ったら、俺が座ってた場所に源氏の雑兵が座っていやがった。頭にきたので言った。

「そこはついさっきまで俺が瞑想していたんだぞ。とるな」

源氏の雑兵は猿のような卑しい笑い顔で、

「早いもん勝ちだ。さっき通りかかったら空いてた」

とぬかしやがった。
こういう不逞な輩は実力で排除するのみだ。俺は近寄って一発殴った。頭を拳固でやられて、雑兵は目がロンパリになった。だが敵もさすがに武士の端くれだけはあり、抜刀して斬りかかった。俺は敵の切っ先を髪の毛一本の差でかわした。かわしてみてわかったが、そいつの剣は変幻自在リトル・トルネード・クラッシュという必殺の剣だったんだ。俺は切っ先をかわした直後、ジャンプした。(な……こんな跳躍がっ)と雑兵は顔に驚愕の色を浮かべた。俺の脚は雑兵の肩の高さにあり、するどいキックが雑兵のこめかみに命中した。雑兵はもんどりうって地面に倒れた。刀を投げ出して頭を押さえながらヒイヒイ泣き出した。
俺はそいつの刀を拾ってそいつの身体に乗っかった。刀の先をそいつに向けて、もちろん一も二もなく刺し殺すこともできたよ。だが、しなかった。いま敵兵を殺したら夢見が悪くなる気がしたからな。それでも俺は油断なく雑兵を睨みつけながら、言ってやった。

「ここで死にたいか。あの世へ送ってやる」

「お願いだから助けてください。どうか命ばかりは…」

「助けてやってもいいが」俺は刀を向けたまま、「タダでは助けない。なにかよこせ」

「金ないんだ」

「金以外に宝物があるだろ?」

「じゃあ、去年抜いた親知らずを…」

俺は首を振った。

「どうやら、死にたいようだな」

「まま、ま、待ってくれ。わかった。先週捕まえたコガネムシをやる。漢字で書けば黄金虫だぞ。金持ちになれるし、暗号も解ける」

「そいつはもらっとこう。だが、コガネムシだけじゃダメだ」

「そんなら大カマキリをオマケにつけてやる。こーんなにデカいんだ。俺が見つけたなかでいちばんの大物だ」

俺はようやく承知し、刀を下ろしてやった。雑兵が瓢箪にしまったコガネムシと大カマキリをもってくると、俺は顎をしゃくって追い払った。コガネムシとカマキリは虫籠に入れてある。なかなかの獲物だ。

               平タツミ


 平でで子様

昨日手紙が届いたよ。
うすのろ・人でなし・不人情ってそりゃひどくねーか? 俺の手紙が遅れたのは郵便屋のせいだぞ。俺はせっせと書いて送ってる。文句は郵便屋に言えよ。あいつら二度ベロを濡らす以外に能がないんだから。

               平タツミ


 平でで子様

全員が森になって行軍した。めいめい樹木を背中に担いで。森は進んだ。源氏の大将は城から眺めておどろきと恐怖に身体をわななかせた。おお、森がうごく。そうだ、俺たち全員がうごく森だった。背中に木を背負って、なんだか木になったような気分だった。いまの俺は木の気持ちが芯からわかる。霧が流れた。森は歩いた。きれいはきたない。

         平・マクベス・タツミ


 平でで子様

一週間ばかり手紙がこないけど、どうかしたのかい? それとも郵便屋のせいかな。
三日前、うちの隊の仲間が二人死んだ。矢に当たったのが一人。海岸に打ち上げられたタコを生のまま食って食中毒で死んだのが一人。タコに目がない武士だった。タコに毒があるとは知らなかった。
海中で埋葬した。みなアクアラングと水中服をつけて水底を歩いた。水底ってのはなかなか歩き馴れないもんだ。死んだ武士の亡骸を衣で覆って、水底の比較的固い地面を選んで掘った。埋めたところが柔らかい砂だと、死体が浮き出てきちゃうからな。墓穴を掘り終えると侍の亡骸を埋めて、また土をかぶせた。水中だとお互いがだれだか顔がハッキリしない。泣いてるやつもいただろうと思う。声も聞こえず、われわれの息があぶくになって立ちのぼるのだけが見えた。
墓の上に水底で拾った流木を立てて墓標にした。碑銘はこう刻んだ。

 平アボカド 行年廿四歳
 蛸の毒に中りて逝く
 アボカドと蛸の霊よ とわに安かれ

味方がやられた話をしたけど、心配しないでくれ。俺はピンピンしている。

               平タツミ


 平でで子様

手紙読んだよ。ありがとう。でで子の手紙だけが俺を故郷につなぎとめてる。
実は来週から離島に転戦することになった。所在地はそのうちわかるから追って知らせる。でも、不便な島だから、いままでのように手紙が届かないかもしれない。郵便屋がくるのかきいたら、週に二回ぐらい本土と往き来する船が出てるらしい。その船に郵便屋が乗ったら届くはずだ。
じゃあ、またね。
               平タツミ


 平でで子様

離島にきて八日になる。昨日郵便屋がきた。真っ黒な服に帽子を目深にかぶったやつだ。

「平タツミ宛にきてないかい?」

とたずねたら、

「いいえ。手紙はひとつもありません」

と答えた。
てなわけで、でで子からの手紙は一向に届かない。たぶんおまえは書いて送ってくれてるだろう。俺も郵便屋が見つかれば手紙を渡す。でも、この手紙をいつ渡せるのかわからない。郵便屋は島に当分こない気がする。
戦さえなければ、景色の良い島だ。魚や貝はとり放題だし、平氏の味方の島民が米も分けてくれている。源氏の軍が近く大挙して押し寄せるという噂があるが、しょせん噂だ。

               平タツミ


 平でで子様

もう三月になる。でで子の手紙を読んでいない。なにせ、敗走をつづけているから、郵便屋も見つからない。かえって郵便屋に見つけられるのも危険だ。
出せない手紙がもう十通になってしまったよ。
よく生きてるな、と我ながら思う。
自分が泥だらけの姿になってぬかるみの底から這い出てきた夢を見た。泥だらけ、というよりも泥でできてるんだ。俺は泥人間だったんだよ。俺だけじゃない、俺たちはみんな泥人間だったんだ。指で腹を押せばグニャグニャになってめり込んでしまう。でもその指じたいが泥だから、めり込むうちに折れて、崩れ落ちていくんだ。手足も胴も頭も顔も崩れ落ちていくんだ。
もうそろそろ俺たちは泥に戻る頃かもしれない。泥から生まれたものは泥に帰る運命なんだ。

               平タツミ


  〇


平タツミは所属する隊の潰滅に伴い、一人孤独に馬を走らせていた。
馬もタツミもヘトヘトだった。馬の背中には潰瘍ができ、膿み出して、異臭を放っていた。タツミは可哀想に思って薬草を塗り布をかぶせてやったが、馬に乗らずに逃げるわけにもいかず、潰瘍が治る見込みはなかった。それでも馬は辛抱強くタツミを乗せて走った。
真夜中、とある戦場を横切って逃げた。夜が明ける頃、タツミは谷間に出た。馬を下りて歩いた。崖を苦労してよじ登った。この谷を出れば、より安全な土地へたどりつけると思っていた。
崖の頂きに登りつめてみると、目の下に広がるのは海辺だった。
朝の静まり返った砂浜に無言の兵隊がぎっしりひしめいているのだった。白い旗が海風にはためいていた。すなわちタツミが忌避すべき敵、源氏の軍勢にちがいなかった。ああ、遭っちゃった。タツミはため息をついた。馬は飽き飽きしたように「ヒヒヒン」と言ったが、タツミは馬語が話せないからやはり意味はわからなかった。
不思議と恐怖心は湧かなかった。さんざん逃げまくってきたせいかもしれない。こんなに大勢の敵を見たのは初めてのような気がする。実際、三千は下らないだろう。タツミ一人を殺すことなぞ、蟻をひねり潰すようなものだ。
もはや、逃げたってどうにもならない。そう思うと肝が据わってきた。こう見えても俺は平氏の武士だ。逃げも隠れもすまい。戦に加わったからにはなにか一丁手柄を立ててやる。馬を崖にほっといて、タツミはソロソロと浜辺に下りた。岩伝いにカニのように横歩きした。逃げも隠れもしないと考えたわりには姑息な歩き方だった。
源氏の大将がここにいるのだ。
タツミはドキドキしてきた。近づいて、大将の首をとる。功なり名を遂げよう。いや、やつは父上の仇なのだ。これは報復だ。俺の右手が大将の首をとらぬことを、俺は許しても俺の左手は許さぬぞ。
大将の真後ろに接近した。あと十歩。九歩。もう少しだ。刀を抜く。背中からグサリとやってやる。卑怯? いや、これは正義だ。七歩。六歩。五歩。四……あ。
大将の傍らにいた大男が不意に振り向いた。そいつは鞘から抜いた刀をもっていた。振り返るなり、タツミの腹めがけてグサリと突き刺した。
砂浜に倒れたタツミの死体を見て、よしつねは言った。

「さっきからいたのか?」

「はい。さっきからいました」

ベンケーが答えて刀を鞘に戻した。




 10へ続く。