父の故郷~石巻~
おはようございます◎
先週の水曜日の夜中に石巻から帰ってきました。
ちょっと遅くなったのですが、石巻に行って感じたことや写真一部を載せたいと思います。
※不快に思われる方もおられるかもしれませんが、これが石巻の現状なのです。
石巻市は、宮城県内で2番目に人口の多い市です。
漁港にはたくさんの加工工場があり、漁業の街として成り立っていました。
しかし3月11日の大津波により、そのほとんどが破壊されました。
死者数・行方不明者数は、福島県・宮城県・岩手県の被害を受けた市町村の中で最も多い街です。
父の実家である石巻市山下町というところは、海から3~4キロのところにあります。
大津波は内陸4~5キロまで来たというますから、津波が来てもおかしくない地域でした。
しかし、水は来なかった。
それは、すぐ裏に「日和山」という小高い山があるからです。
そのふもとにある地域なので「山下町」といいます。(おそらく)
石巻市には「北上川」という川が流れているのですが、その河口からも水は来ました。
そのため、海からと川からのダブルパンチを受けたのが、石巻なのです。
その二つに分かれた津波から、父の実家を守ったのがまぎれもなく日和山でした。ちょどよくストッパーとなったのです。
実際に津波の跡を辿ってみると、明らかに父の実家より内陸にある地域が冠水していたことが見てとれました。
冠水したとわかる理由は、線のように壁に残った津波の跡、家の前にある水に浸かった大量の家財道具など。
まだまだとんでもないところに車があったり、砂が残っていたり、2ヶ月たったとは思えない現状がそこにはありました。
5月5日の早朝に石巻に到着し、父の願いでそのまま日和山まで登りました。
そのときに撮った写真を少し載せます。
まず、去年のGWに撮った北上川の写真↓
奥のほうに写っている白いドームが石巻にゆかりのある漫画家、石ノ森章太郎の漫画館です。
石巻の観光スポットです。
これが今年、同じ場所で撮った北上川の写真↓
中州のところが津波の被害を受けていることがわかると思います。
もちろん、石ノ森漫画館も水に浸かりました。
ちなみに9日ぶりに救出された少年とおばあちゃんはこの中洲に住んでいたみたいです。
次に南浜町(写真は門脇も含まれる)という、
本当に焼け野原というにふさわしい光景が広がっていました。
家がぽつんぽつんと残っていますが、大叔母の家はすべて流されてしまいました。
幸いなことに大叔母たちはみんな無事で、倍率10~20倍と言われる仮設住宅が当たり、今はそちらで暮らしています。
仮設住宅にもお邪魔させていただいたのですが、四畳半が二間、テレビ・キッチン・シャワー・トイレ・洗濯機・冷蔵庫などすべてついていたそうです。
仮設住宅については現在宮城県内で1300戸ほど建ったそうですが、必要数は3万戸だそうです。
それを9月までに建てる計画だそうですが、この情報だけでもどれだけの被害であったかがわかります。
現在、私の大好きな高橋歩氏によるNPOオン・ザ・ロードが石巻にてボランティア活動をしているのですが、主に渡波(わたのは)地域で瓦礫の撤去作業をしているそうです。
その渡波に、親戚が住んでいました。
堤防から50mくらいのところに住んでた大叔父の一家は、私のはとこの代まで住んでいる大所帯です。
こちらも奇跡的に全員無事、全壊地域と言われていますがお家も奇跡的に残っていました。
ただし堤防が決壊し、手前にあった工場が流されてその家に覆いかぶさっていて、もう住める状態ではありません。
その二階で津波を受けたと言うので、本当に驚きでした。
今は仙台に移り住んだそうです。
もう一軒、床屋をやっている大叔父の家が渡波にあります。
そこは1階が冠水した地域でした。
畳はすべて取り外され、家の手前にある床屋の鏡が落ちたり、土塀が見えたり(築80年らしい!)していました。
ここで驚いたのが、地盤沈下(たしか70cmくらい)のせいで毎日満潮時に冠水するということです。
なので、父の従兄弟が毎日毎日水をかき出すそうです。
今は内陸の方に移り住んでいるので、片付けのためにここに来ていると言っていました。
日和山に登ったとき、涙が止まらなくなりました。
ほとんど毎年石巻には来ていたので、知っている場所がこんなことになってしまい本当にショックでした。
これからどうなっていくんだろう。
ただただ、眺めるしかなかった。
私の親戚は遠縁ですが、3人亡くなりました。
多くの人の命が犠牲となり、残された人々が復興に向けて毎日を生きています。
今回、私は祖母の手伝いをするという名目で父の石巻行きについていきました。
手伝いがぼちぼちでしたが、一番印象的なのは到着してすぐ祖母が泣きながら私を抱きしめたことです。
ただそばにいるだけいい。
私は孫ということもあって、いるだけで皆を笑顔にできたと思います。
そんな中、感じたこと。
家族を大事にしよう。
これって世界一周から帰ってきたときにも思ったことで、また最近忘れかけていたことです。
家族がいることって当たり前じゃない。
当たり前だったことを、当たり前じゃないと気づかせてくれたのがこの一週間でした。
「畳の上に座っていることがどれだけ幸せか」
祖母に言われた言葉です。
自分はボランティアもしないで、無力だったかもしれない。
でも、祖母や祖父、叔父や親戚を笑顔にできたと思う。
そばにいるだけ、元気にそこにいるだけで、人を笑顔にすることができる。
この震災があって、気づけたことのひとつです。
神戸の震災のときに島袋道浩さんというアーティストが、屋根にでっかく「人間性回復のチャンス」と書いた看板をたてたそうです。
2011年、またそのチャンスが来ていると信じています。
私たちはこれから多くのことに立ち向かっていかなければならないけど、これを乗り越えることができたらたくさんのことが得られるはず。
もうすでに得られたこともあります。
今もなお避難生活を送る人、ボランティアしている人、自衛隊の人たち、多くの犠牲者が出たいという事実。
この先ずっとできることは、この震災を忘れないこと。
こうして、ブログに書かせてもらったのも、忘れないためでもあるのです。
少し長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
さいごに、
まずは
自分が元気に!
domiso




