イメージの共有って、
実は結構なワークロードだと
最近気づき始めました。
実行スピードがキーになる昨今では、
この共有ができてないと、
なかなか物事が前にすすまない。
しょっちゅう、長ーいミーティングしちゃうわけです。
終わってみても、ほとんど前に進んでる気がしない
不毛。。。
イメージは、個人の経験や知識ストックから
外部的な刺激をキックとして映像化できる場合が
多いけど、もちろん経験と知識ストックは、
個々さまざまだし。
さらに、わるいことに
経験は知識の蓄積を制約する場合も多く、
知識の蓄積は経験を否定する傾向もあるよーな。
さらにさらに、経験不足、知識不足を少ないワークロードで補填するために
過去のモデルを模倣する傾向もあるし。。。
昨日お会いした違う会社の取締役さまがおしゃってました。
本当の価値が伝わらなくってもいい、
わかった気にさせるためにのプレゼンが必要だと。
そーかもしれませんね~。
センスは、個々のアンテナの感度や指向性のことですが、
そのI/Oからのデータの結合から新しいアイディアを生むためには、
他とのコネクター部分をオープンにする必要があります。
なぜなら、結合はネットワーク形成の容易性から生まれるからです。
個々のイメージは、プロトコルのローレイヤにある
情熱でネットワーク化されれば、
結果的になにかを生み出すかもしれないとおもう今日の飲み会でした。
ココだけの話、物理的な時間の制約を超えるのは、
個々の情熱と自分自身による自分自身へのマネージメントなんでしょう。