俺は銭湯の家の子だった。


町のはずれにある「桐の湯」。それがウチの銭湯の名前だった。割合自由奔放にさせてくれる父と、手厳しい母の間で生まれた子供が俺、敏夫だった。そんな父親と一緒に毎回かかさず「11PM」を見るのが習慣となっていた。性的な部分でもオープンな父だったので、きまずいとかそういうことは感じられなかった。

ある日いつものように父と「11PM」を見ていると、母の怒鳴り声が聞こえてきた。

「敏夫!ちょっと手放せないから、番台やっててもらえる?」

番台とは、銭湯などで入り口付近にある、まぁホテルで言えばフロントのようなもの。家事とかの手伝いは別になんの抵抗もなくできたんだけど、番台の手伝いだけはちょっと抵抗があった。友達とかは、「女湯のぞけるんだろ?いいなぁうらやましいよ。」とか言われるほど男にとっては憧れの場所なんだろうけど、まぁ実際のぞける。簡単にのぞける。でもおばさんとかおばあさんとかばっかりで、見ても何の得にもならない客ばかり来る。だから暇で暇でしょうがないわけ。ただぽつんと座ってるだけだしね。

まぁ母に反抗したら往復ビンタは当たり前だし、物置に一日くらい普通に閉じ込められる。物置にぽつんとしてるよりかはまだ番台のほうがましなので、仕方なく番台に上がった。・・・本当に何もすることがない。客はよぼよぼのおじいちゃん一人だけ。読み慣れない新聞をとってみるものの、どうも活字っていうのはやっぱり苦手だ。何も考えずにボーッとしていることにした。

すると、店の扉の開く音がした。俺は我に帰って、いらっしゃい、と声を出す。そこには学校のマドンナの市川さんが立っていた。

「あれ?敏夫くんじゃない。家ここの店だったんだ。」

「あ、んぁあ。」

どこぞの欧米風味の青春ドラマの中の役みたいな受け答えをしてしまった。やっぱり女の子と話すのは緊張する。シャイなんだよ。とってもシャイ。彼女はお金を俺に渡して、脱衣所へ駆けていく。っていうか、オオオオッ!これは!これはなんとも!いやー、母さんグッジョブ!なんというタイミングで店を手伝えって言ってきたんだ・・・マジ神!唯一神!拝むね!毎日。

「敏夫ー!もう交代していいわよ。あら、市川さんちの・・・今日も遅いわね。」

「あ、いえ。」

「敏夫、早くどきなさいよそこ。邪魔邪魔。」

なっ・・・おま、人を利用するときは利用しておいてその言い様!?ウワァァァァン!見られなかったよー!市川さんの生着替え!死ねよ、母さんいっぺん死ねよぉぉぉぉぉッ!!


でもそんなラッキーにめぐり合えるかもしれない銭湯の番台。なんていい手伝いなんだ!俺は積極的に番台の手伝いをするようになっていた。それでも、「11PM」を見るときは言われなきゃしなかったもんね。あれだけは見逃さない。何があろうと見逃せない。でも母さんには反抗できないので手伝いはする。いつの間にかそんな習慣ができていた。

そんなある日。

「敏夫ー!また番台頼むわー!」
ごめんよ俺の「11PM」・・・でもキターッ!以前市川さんに会ったのは、「11PM」を見ていて手伝いをやらされていたときだ・・・。それより早い時間帯でも手伝いをやっていたけど、一度も会うことはなかった。なんでこんな遅い時間に来るんだろう・・・そう思っていると、扉が開く音がした。いらっしゃいというと、そこにはまた市川さんが立っていた。やはり!この時間にしか来ないんだな~、ニヤニヤ・・・

「はいお金。」

「どもー。」

お金を払う手の甲をよく見てみると、乾燥してカサカサしており、何よりひどいあかぎれがたくさんあった。そのあかぎれが、この時間にしか風呂に入れない理由を語っているかのようだった。

彼女の家はウチより貧乏、しかし兄弟はたくさんいた。長女である彼女が、家事洗濯弟妹たちのお世話。それらすべてを済まさないと、自分の自由な時間がもらえないのだ。宿題をよく忘れるのも、こんな遅い時間にしか風呂に入れないのもそれが原因だろう。そんな苦労している彼女の着替えなぞのぞいていいものなんだろうか。彼女のあの手の甲を見て!のぞきなんてできるものか!俺はとてつもない罪悪感を感じ、読み慣れない新聞で視界をさえぎった。つまらない四コマ漫画を何度も読み直した。

彼女以外の客が誰もいなかったので、脱衣所と浴場をさえぎるガラス扉のガララという音が2回聞こえてきたので風呂にあがったことがわかった。そして着替えている途中の布のすれる音が聞こえ、静まり返ったこの空間にゴクッゴクッと言った飲み物がのどを通る音が響き渡った。そしてペタペタと足音が聞こえてきたので、もうお帰りなのかなと思い、そこでやっと新聞紙をおろした。

「実はね、この銭湯に来るの今日が最後なんだ。」

「え・・・?」

貧乏だった彼女の家。家計簿に載る月の銭湯にかかっているお金が、あんまりバカにならない額だったみたい。たしかに、彼女の家には風呂がないので銭湯に来るしかないんだけど、それだったらちょっとフンパツして風呂のある家に引っ越したほうがいいんじゃないかっていう話になって、でもう明日引越しらしいのだ。それで今日で銭湯に通う生活とはおさらばなんだとか。ハハハーッ!こんなチャンスにめぐり合えたのに、何の収穫もなかったのかよ俺!俺よーッ!

「ちょっと耳貸して。」

彼女に顔を近づけた。なんだかとっても恥ずかしい気分。だって!女の子とこんなに接近したのはじめてなんだもん・・・!コソコソとした声で彼女は話をはじめた。

「(家の近くに一軒銭湯があるんだけど、なんでここに来てるかわかる?)」

「さ、さぁ?安いから?」

その瞬間、ほっぺたに一瞬何か柔らかな感触が・・・。え、何これ?何の感触よ?初めての感覚!あ、アレー!?これってもしかしてーッ!?

「そーゆーことだよー、じゃーねー!」

彼女は暗い夜道を駆け足で帰っていった。忘れられないあの一瞬の感覚と、ほのかに香ったフルーツ牛乳のにおい・・・


そんな市川さん・・・いや、佳代とは、まぁなんだかんだありまして結婚した俺。佳代は、俺の姓である「土橋」をつけて、「土橋佳代」となった。今では、女兄弟が4人に男兄弟が2人いる大家族。男兄弟のほうはなんか反抗期でよくわかんないけど、三女の望美には彼氏がいるんだとか。クキィー!よりにもよってまだ中学生の望美にーッ!パパくやしい!くやしいよホント!まぁ、なんだかんだで幸せな家族生活を送っています!