人生初めてのペアダンスは…おそらくは幼稚園か小学校のフォークダンスの類だったかもしれませんが、それはよく覚えていません…。
今でもしっかりと記憶に残る初めてのペアダンスは高校一年生の時のことでした。
私が通っていた高校は春に運動会があったので、新入生は入学してすぐに運動会でした。その高校は応援合戦に力を入れており、それはダンスやパフォーマンスが満載のかなり華やかで本格的なものでした。それらに先生が係わることは一切無くて、全てが学生の手によって行われていました。
ネットも動画も無かった時代に、ああいうオシャレな振付や衣装のアイディアはどこから仕入れていたのかなあ…と今にして思えば不思議なのですが、そういう才能やセンスのある人たちは不思議と学年に一定数は居るものですよね。
そういえば、文化祭ともなれば、いつの間に練習したのだろう…あいつ確か忙しい運動部だったはずなのに…と思われる意外な人物がエレキギターを持ったり、キーボード弾いたり、即席のバンドが結成されて、そちらも華やかでした。いわゆる「バンドブーム」が全盛のころでしたから、音楽やってる人たちはもてましたね。
話を運動会に戻しましょう。
新入生は右も左もわからないまま、先輩の言われるままに屋上やグランドの一角に集められ、みっちりと応援合戦の練習をさせられたものでした。
いろんなダンスやパフォーマンスがあるので、どれに当たるかは運次第。私は幸か不幸か、女性とのペアダンスをすることになったのでした。男性と女性が横一列にならんで、みんな屋上で一斉にペアでダンス練習。いやあ、青春ですねぇ。
その一方で、ちょっと過激な衣装で笑いをとる系の派手なパフォーマンスに駆り出された新入生たちもいたので、私は幸運?だったのかもしれませんが…。それにしても差がありすぎましたが...。それもまた青春?でしょうか。
隣の男子も向かいの女子も、入学したばかりで名前も顔も知らない人ばかり。先輩に言われるままに、ペアとなった女性の手を取り、ステップを踏み、回り...。「照れるな~、ちゃんと手を握れ~、しっかりやれ~」と先輩に気合を入れられながら、周りをキョロキョロしながら、照れる間もなくひたすらマネするのみでしたが...。
問題(?)は、振付の終盤で見せ場のリフトがあったこと。女性を持ち上げて背中で回して下ろす、というダンス初心者にはナカナカの振付でしたが、そこは高校生の若さでみんなこなしていました…。
そこで、私は何をトチ狂ったのか、女子に向かって信じられない一言を放ってしまったのです。
「あの…重いんだけど…」
さらには、狂気の沙汰としか思えない後追いの一言を放ってしまうのです。ガタイの良かった隣の男子を見て…
「変わってくれないかなー?」
高校生といっても、大学生か社会人に近い高校生と中学生に近い高校生とがいると思うのですが、私はそのどちらでもなくて、今にして思えば精神的には小学生に毛も生えない程度だったように思います。
その子と踊るのが何か嬉しくて、でも恥ずかしくて、どこかで照れ隠ししたい、今でいう「好き避け」みたいな心理が働いたのかもしれません。
その時の気持ちは、今でも自分で上手く説明できないのです。小学生が好きな子をいじめる心理と共通するものでしょうか...。
私はどんな返事を期待してそんなことを言ったのか、今でも自分でわかりません。私が期待した言葉かどうかわかりませんが、「重い」と言われた可哀そうな子はこう言ったのです。
「ごめんねー私、重かった?お隣さんさえ大丈夫だったら変わってもらおうか?」
結局、ガタイの良いお隣さんとパートナーチェンジとなりました。その後、その子は、
「今度は大丈夫だった?」
と、声をかけてくれたのです。内心では傷ついていたのかもしれませんし、私のことを心よく思ってはいなかったかもしれません。しかし、そんなことを表情に出さず、少なくとも私に対して変わらない態度で接してくれたのです。
さすがに小学生なみ?の高校生だった私も、「優しい子だな...」と思いました。
何かグラグラと心が揺さぶられた気がしました。その時、小学生だった私は中学生を飛び越えて一気に高校生になったのかもしれません。
運動会も無事に終わって、少しずつ高校生活に馴染んでいった私は、ダンス練習で一緒だった同級生たちのクラスや部活も知ることとなりますが、なんと私が「重い」と言った子と私は、同じ部活だったのです。そしてその後は…。
そのペアダンスにはオシャレな洋楽が使われていました。その後、何年もその曲を聞くことが無かったのですが、この歳でなんと社交ダンスなんぞ始めてしまったために、ダンス音楽をたくさん聞くうちに、数十年ぶりにその曲に再び出会ったのです。
その曲を聞いた瞬間、その時の記憶が蘇ってきました。
私の高校の同級生の誰かがこの文章を見ていたらヤバイので具体的に曲名はいいませんが…。
高校生一年生は…「そういう年齢」なんですね。そこまで考えて選曲し、振付した先輩は素晴らしかったと思います。
ちなみに、アバの「ダンシング・クィーン」じゃないですよ。あれは「seven teen」 、高校二年生ですから。高校一年生は...
あの時、ああしていたら、こうしていたら人生は変わっていた、なんて思うことは人生でしょっちゅうありますが、今でも最も強くそう思う瞬間が「この時」かもしれません。
恥ずかしくも懐かしい、青春の思い出です。