日本で最初のダンサーは、日本書紀、古事記にその記載があるアメノウズメノミコトではないか、という説が有力です。

 

天岩戸に隠れた天照大御神を誘い出すために八百万の神々が大宴会を開きますが、そのクライマックスは、アメノウズメノミコトのダンスでした。

 

そのダンスでは、激しさのあまりに胸ははだけ、下半身はあらわに...。それを見ていた八百万の神々は大爆笑、その楽しそうなバカ騒ぎにつられ、天照大御神は天岩戸から顔を出し、世界には光が戻る、という伝説は皆が聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

なんだ、神様もバカ騒ぎが大好きなんだ、神様の宴会でも裸踊りは笑いの鉄板なんだ、と思うとなんだか嬉しくなります。ダンスって楽しいもの、笑うもの、皆が笑顔になって世界に光をもたらすものなんだなーと思います。

 

天照大御神が天岩戸から顔を出した後で、「天上界でもっとも手の力が強い男」という名前を持つ神さまであるアメノダヂカラオノミコトが天岩戸の扉を開けて天照大御神の手を引いて導き出し、太陽の光の復活を完全なものとした、という話の続きがまたいいなぁ、と思います。

 

アメノウズメノミコトの妖艶なダンスがこの世の光の復活のきっかけを作り、アメノタヂカラオノミコトの力強さが光の復活を確実なものとして安定させた、という伝説は、女性性と男性性がその力を合わせることでこの世に光をもたらす、ということを暗示しているのではないか、と思うのです。

 

アメノウズメノミコトもアメノタジカラオノミコトも、共に芸妓の神としてあがめられています。

 

今の時代は、様々な理由で女性性や男性性を表現すること、その「性」を前面に押し出すことが難しくなる場面も多々あるのですが、神話に見る限り、本来は「女性性」も「男性性」も素晴らしいものであり、それは世界に光をもたらすものだと思います。

 

無理に男性性を要求すること、女性性を要求することは、個人に対する差別や迫害かもしれませんが、一方で、男性的な表現やその有り様、女性的な表現やその有り様を必要以上に制限する必要はないでしょう。

 

男性的なものと女性的なものを合わせることで、単独であった場合の何倍も素晴らしくなることを、神話は暗示しているのではないでしょうか。

 

社交ダンスとは、「この世に光をもたらす」すばらしいダンスだと思います。