私は長年家族に対して、大好きなのに一緒にいるとしんどいジレンマを抱えてきた。



うまく関われない。



容量悪いなぁとか

うるさいなぁとか

なんで私だけ我慢してとか



不満ばっかりで、

イライラしちゃって。

当たり散らして

そんな自分をせめて。



大好きなのに、

一緒にいればいるほど息苦しかった。



なんでなんだろ。

ってずーっと思ってきたし、

どうしてうまくやれないんだよ。

って自分を責めてきた。



その一つの問いと自責に、

大きな救いをくれたのが子宮推命だった。



そうか、基本性質が違うから

どうして私には

母のように

弟のように

できないんだろ

って

同じようには

できなくて当たり前なんだ。

って少し楽になった。



だけど、楽になっても、やっぱり

会うと知らず知らずのうちに

緊張したり、

張り合ったり、

気を遣ったり、

疲れちゃう自分がいて、



それはしんどいのを星のせいにして

そのしんどさの根っこにある

自分をしばる思い込みみたいなものに

まだ気づいていなかったからのようで。



こないだふと思いつきで

子どもを連れて実家に帰った。



父も母も、

心底嬉しそうな顔で

変わるがわる孫をあやしていた。



そして、弟がこのお正月、

父と一緒に日の出を見に出かけたことを、

話して聞かせてくれた。




私が家を出るまでは、

毎年私と父と、

父の友人で日の出を見に

車で出かけるのが習慣だったのだけど。


私が家を出て、

父の友人が亡くなって。


そしたら、

1番上の弟が一緒に行くのを

買ってでてくれたらしい。




それを聞いた時に、

「ああ、やっとわたしは

『お姉ちゃん』を辞めても

いいのかもしれない」

と思った。




家族に対して、

居心地が悪かったのは

私が自分でも気づかないうちに

「お姉ちゃん」

を演じることを

自分に強く強く課してきたから

なのかもしれない。



その「お姉ちゃん」としての

責務の一つが、

父をひとりぼっちに

しないことだったんだろな。


もちろん、

わたしは父を大好きで

だからこそ一緒に行き始めたのだけど

いつからか少し義務みたいに

思っていた部分があったのかもしれない。



ずっとずっと家族に対して抱いていた緊張感。

やっと手放すことができそうです。


責任感が強いねって褒められる事が多々あって

嬉しかったけどどこか

その言葉に縛られる様な感覚もあった。



ほんとうは、もっとわたしだらしない。

ほんとうは、もっと子供っぽい。

ほんとうは、ちゃんとなんてできないの。


だけど、頑張ってきたの。


だから、ほめてよ。

もっとわたしを大事に扱ってよ。


そんな言葉が聴こえる。


今までよく頑張ったね、わたし。

もう、お姉ちゃんをがんばらなくていい。

そのままのわたしでいいよ。




そういえば、そのことに気がついたからなのか

約束のリングが迷子になってしまったよ。



ただ身に付けてるだけじゃなくて

もういちどそこに刻まれた言葉の意味を

思い出してねって言われてる気がした。



「It's Okay」



いつだって、今の私にオッケーを!