5年ほど前のメモです。懐かしい



徳川家康が愛した静岡県、産業のデパート静岡県


産業という見方で、静岡を振り返ります。


*殖産興業 明治政府が西洋諸国に対抗し、機械制工業、鉄道網整備、資本主義育成により国家の近代化を推進した諸政策


▪️導入

パラサイトで有名なポンジュノ監督の映画、母なる証明を見た。歴史的世界観、昔の日本をみているようで、思わず、鹿児島の歴史まで調べてしまった。そこから、でてきたワードが大久保利通であり、大久保利通がおこなった殖産興業の促進である。


▪️東部

伊豆半島は、海浜の景観と豊かな温泉資源に恵まれているほか、首都圏に近いという立 地条件もあって、熱海、伊東、下田などを中心とした全国有数の観光地帯となっています。 また、御殿場、裾野、三島、沼津といった地域には、首都圏からの交通アクセスが良いこ とや地下水を豊富に利用できることなどから、大手メーカーの工場が立地しています。富 士地域は、富士山の豊富な水源をもとに製紙・化学工業が発達し、パルプ・紙・紙加工品 の出荷額は全国一となっています。また、県東部では、近年、医療・健康産業の集積が進 み、医薬品や医療機器の出荷額は全国でもトップクラスになっています


▪️中部

県都静岡市は、行政、商業都市であるほか、家具、雛具などの伝統産業も集積していま す。清水港は、県下最大の輸出入額を誇る国際貿易港として発展し、物流拠点が集積して いるほか、焼津港は、かつお、まぐろの水揚げ基地で水産加工業も盛んです。遠洋漁業で は、まぐろやかつおの漁獲量が全国トップクラスを誇り、これを利用した缶詰の生産量も 全国一となっているほか、沿岸漁業では、しらす漁や国内では駿河湾だけでしか獲れない 桜えび漁も盛んなことから、食品加工業の立地もみられます。また、牧之原台地はお茶の 特産地として有名です。



▪️西部

 浜松市を中心とする県西部は、自動車、二輪車、楽器を中心とする工業地域です。現在

でも、県西部は、輸送用機械、楽器の 2 大産業に加え、エレクトロニクスや生産用機械な どの機械産業の集積が進み、わが国有数の工業地域を形成しています。他方、温暖な気候 を活かしたメロンやみかん、野菜などの農作物栽培のほか、浜名湖でのカキ、のり、うな ぎ、スッポンの養殖など、第 1 次産業も盛んな地域です。


▪️全国的な歴史

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1853年 ペリー来航

1858年 鎖国終了 殖産興業の開始

1867年 日本発の紡績工場、鹿児島紡績所を設立

*紡績所 繊維を機械でつむぐ工場

1870年 工部省を設立(社会基盤整備と殖産興業を推進)

1871年 岩倉使節団、107名で欧米を訪問(そのうちの1人が初代内務卿、大久保利通)

1872年 官営(⇄民営)鉄道、汽船が発足、国内の交通網が整。富岡製糸場の開設、国立銀行条例を布告

1873年 地租改正、(税の仕組みを整える)、北海道開拓

1880年 官営事業は民営化(三菱、三井)

1882年 日本銀行設

1885年 工部省を廃止


1894年 日清戦争

1901年 八幡製鉄所(福岡)で操業開始

1904年 日露戦争

*日本の産業革命の工業化が進む(財閥が出来上がる)

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▪️静岡的な歴史

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*遠州(浜松)綿花の産地であり、遠州織物は江戸時代から有名であった。

愛知の三河、大阪の泉州と並び、三代綿織物産地であった。

1884年 遠州地方に紡績工場が作られる。

*木綿商人の活躍(関東、東北へ販路拡大)世界でも高評価(パリコレなど、1910年に初開催)

1887年 長崎で時計を学んんだ山葉寅楠が浜松尋常小学校でオルガンを修理を開始。

1896年 豊田佐吉が小幅力織機(幅の狭いものを折れる、ガーゼなどの薄いものも折れる)

*同年アメリカではフォード社がガソリン車を製造

1903年 ヤマハ、ピアノのついでに高級家具を作る。

1904年 鈴政式織機株式会社が設立


1905年 豊田佐吉が38年式織機の発売。

*異常が発生した場合、織機を自動停止して、品質不良や手直しによる損失などを防ぐ発想であり、自動化の起源

1909年 鈴木式織製作所が設立

1914年 快進社自働車工場、国産乗用車「DAT号」完成

1920年 東洋コルク工業(株)(現 マツダ(株))設立

1921年 ヤマハ、軍の要請で木製プロペラを作る。

1929年 豊田喜一郎、欧米の自動車事情視察と特許権譲渡交渉のため出発

1930年 鈴木道雄がサロン織機を開発(幅広いものを織る、インドネシアの衣装、海外市場へ)

1931年 ヤマハ、軍の要請で金属製プロペラを作る。ついでにエンジンを作る。

1933年 綿布の輸出量が世界1位となる。

*今は、化学繊維が開発されてきて、中国・インド・アメリカの順で輸出量が多い。

1936年 スズキ、自動車四輪の試作車を完成。戦争のため中断

     本田、ピストンリング」の製造、東海精機重工業(アート商会の浜松支店)を設立。

1948年 ホンダ、34人、資本金100万円。小さな町工場で自転車用補助エンジンの製造開始。

1952年 輸送用機器へ進出。バイクモーター「パワーフリー号」(2サイクル36cc)発売。

1954年 ヤマハ、オートバイの製造を開始 

*欧米を視察した4代目川上源一が、デザインを重視する時代がくると推測。ついでにアメリカで水上レジャーも視察し、作り始める。ついでに弓道をしていたからアーチェリーのFRP製に惚れ、アーチェリーを作り、船を作り、ウォータースライダーを作り、プールを作った。

1954年 スズキ自動車設立

1983年 ヤマハ、電子楽器を作り、パソコンを作り、ルーターを作った。

*「右手にPC、左手にヤスリ」、量産化させたこと

ー部品製造・・・ダイカスト金型、プレス金型、鋳物

ー駿河生産プラットフォーム(1964年)、南部化成(1981年)協和工業(1964年)、岡本プレス(1959年)、オーハマ(1967年)、スグロ鉄工(1980年)、フジオーゼックス、オクダ精工など370社

*2DCADの発明は1963年アメリカ、1981年3DCADフランス

*環境問題などを経て、現代に至る。

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<お茶>

幕末、徳川慶喜が駿府へ帰還。

1869年 版籍奉還、狩りにともない、部下の職がなくなる。茶園を開拓。(丸子付近)

1875年 政府に評価され、多田 インド・中国へ視察

     紅茶と製茶機械の設計図を手に入れる。

1880年 高林謙三 手もみが粗悪であり、機械化を進める

1900年 杉山彦三郎 やぶきたを開発