3年前、ラジオで大竹まことさんがぼくについて朗読してくれたことがあリました。そんな過去記事が出てきたので再掲します。

 


 
<私は死ななかった>
 
その夜、「ビールを買ってくる。」と嘘をつき、澤登和夫さんは家を出ました。
 
向かったのは近所のマンションの最上階。
 
下に人がいない事を確認し、助走をつけて澤登さんは飛び降りました。
 
何の躊躇もなかったそうです。
   


 
 『常に優等生でいなければ』そんな気持ちがずっとどこかにあったといいます。
 
早稲田大学卒業後、物流会社に就職。
 
4年目に業界最大手の会社に出向し、このタイミングで結婚。
 
全てがうまくいっていました。
 
 
しかし、職場では、自分の能力を超える仕事が待っていました。
 
周りは超一流のエリートばかり。
 
出向して4か月でうつ病になってしまいました。
 
休職・復職を繰り返しますが、結局仕事を続けられなくなってしまいます。
   
プライベートでは離婚。
 
実家の暗い部屋で天井を見ながら、ネガティブなイメージばかりが浮かんできます。
  
 
『死にたい…』
  
 
『死ぬならどうやって死ぬ…』
  
 
『人に迷惑はかけたくない…かと言って、手間をかけるほど気力もない…』
  
 
『飛び降りにしよう…じゃあどこから飛び降りよう…』
   
 
漠然とした気持ちは、時間をかけて具体的になってしまいました。
  
 
  
そして、ある夏の夜、10時半過ぎ、澤登さんは近くのマンションから飛び降ります。
 
31歳の時でした。
 
 
目を覚ますと、道で倒れていました。
 
頭から血が出ていましたが、痛みは感じなかったといいます。
 
   
『なぜ、今、自分はこんな所にいるのだろう。とりあえず帰ろう。』
  
 
家に向かって歩きながら、自分がした事を思い出してきました。
 
左膝を骨折しただけで助かってしまったのです。
    
  
   
その後も精神は安定しませんでした。
 
少し元気になると、今度は気が大きくなってしまいます。
 
当時の澤登さんはブランド物が大好きでした。
 
服や時計、BMW、3000万円のマンション、身の丈に合わない買い物を衝動的に何度もしたそうです。
 
今考えると、典型的な躁状態です。 
 
 
さらに、その後、澤登さんは大腸に炎症を起こし入院してしまいます。
 
一番辛かったのはこの時でした。
 
手術後およそ一週間、水や食事、そして薬も禁止されたのです。
 
睡眠薬を飲んでもほとんど眠れなかった。
 
澤登さんにとって最悪の夜が始まります。
 
生まれて初めての過呼吸。
 
意識が朦朧として息もできない。
  
幻聴まで聞こえました。
 
『辛い…苦しい…』
 
それなのに、この時、澤登さんの頭にはこんな言葉が浮かんだといいます。
  
 
『生きたい』
 
 
飛び降りて意識を失った後には『うちに帰ろう』
 
過呼吸で死にかけている時には『生きたい』
  
 
「ずっと死にたかったというより、生きたくなかったんです。
 
でも、本当は、生きたかった。人間って不思議ですよね。」
 


  
現在、47歳。澤登さんは元気です。
 
少しずつ自分と向き合い続けた結果だといいます。
 
今はうつなどに悩む方のカウンセラーをしています。
 
  
色んな人の相談にのっているうちに気付いた事があるそうです。
  
うつが治っても人生が良くならない人もいる。
 
「結局病気が治るかどうかじゃなくて、自分とどう向き合うかなんです。
 
でも、焦らなくていいです。
 
変わりたいって事は、生きたいって事ですから。」
   
  
ちなみに、今、澤登さんはスズキのワゴンRに乗っています。
 
ブランド物がほしくなる事は一切ないそうです。
  
    
 
<私は死ななかった>  
文化放送 大竹まこと ゴールデンラジオ!
大竹発見伝 the ゴールデンヒストリー
(2021年4月26日放送) より