産後で明らめられること | 【千葉・オンライン】 はじめのいっぽのブログ

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皆さん、こんにちは!
産前・産後ドゥーラのいし井とも美です。

7月も終わりに近づいてきました。
梅雨明けもし、とても良い天気が続いております。
いかがお過ごしでしょうか?

さて、先日「ドゥーラ家事塾」2日目に参加しました。
いつも素敵な気づきをさりげなく下さる家事塾:辰巳渚先生
尊敬する先輩ドゥーラのお一人:藤城あつこさんの講義&ディスカッション形式の2日目。

その中で私に必然な、クリアする必要のあるものが再び明確になり…ありがたいことです。

私自身、「自身の産後の生活」に関して「苦しみ」を味わいました。

その苦しみを紐解いていくと、
産後の「現状」を「受け容れる」ことができていなかったのだと思います。

ひたすら「どうして今までのようにできないのか」「うまくいかないのか」ということばかりに視点を置いて、
自分を責め、パートナーを責め、時に幼いわが子を責め、状況を責めたてていました。
産後の肥立ちの悪さ、というカラダの現象でも教えてくださっていたのにかかわらず、
それでも「どうして私ばかりこんな目に」と責めたてていました。

辰巳先生より、あきらめる、には二つ意味があり、
「諦める」と「明らめる」があると学びました。

後者の「明らめる」は、「事情や理由を明らかにする、はっきりさせる」という意味。

身重、よりも身二つになった産後の方が、明らかに生活は変わる。
一人でいたときよりも思い通りにはいかなくなることが増える。
その「思い通りにならない」ということが「身二つ」になることで「明らめられる」。
「身二つ」になった新たな環境下で、どう生活していけばよいのだろうか、と模索する。


改めて書いていくと、とてもシンプルなのですが、
当時の私は身体からも教えてもらっていたにかかわらず、
それができず、できなくなったことを誰かに「委ねる」こともできず
「委ねたい」という気持ちも我慢しなければならない、
みんなやっていることだから私だけ甘えてはならない、

と伝えることもできず苦しんでいました。
伝えることができないので、消化できない気持ちがフラストレーションとなり、
それが「怒り」の感情になって、あらゆる方面でぶつけてしまっていました。


「出産する」とはそういうこと。
できない、ことは「委ねて」みればよいこと。

「伝えて」みることも、できなかった私は
きっと迷惑と思われる。私だけ甘えているんじゃない、と思われるのではないか。
と思っていました。
ゆくゆく考えてみると、それは傲慢であり、
それは「信用していない」というところにもつながる気がします。

委ねて、助けてもらっていく中で、また新たな生活環境の構築をしていけばよいのです。
ドゥーラってそれを家庭という場で、もっとも間近で伝えられる存在なんだと思います。

「委ねても良いのだ」ということを伝えたく、
しかしそれはずっと続ける「依存」というものではなく
「新たな生活を再構築するためのサポート役」を担っていければ。


そういう想いで自分はドゥーラになりたかったのだろうと思いました。

修了書いただきました!ありがとうございます!