先日、「月」を映画館で観てきました。
公開から大分経過してますが、気になっていた映画でした。
2016年、ゆりやま園事件の実話に基づいて作られた映画です。
この事件はかなりの衝撃とショックを受けたので覚えています。
犯人の心情など知りたくもないけれど、現実には障害者施設だけでなく、高齢者施設でも虐待が起こっているのも事実、きれいごとだけではない部分も存在している。
難しい問題。
以下、ネタバレ含みます。
気分が悪くなるかも知れない表現があります。苦手な方はここで失礼します。
「生産性のないモノは人間ではない、排除したほうが世のため。税金の無駄遣い」という思考。
恐ろしい。
いたたまれない。
生産性って言ってたけれど人は物じゃないよね。
話せない=感情がない、感情がないのは人間ではないというような内容もあったけれど、
あれは殴りたくなる。
犯人役の彼女が聾唖でしたが、話せなくても意思疎通ができるから必要な人間なんだと言っていた。
手話で彼女と会話し、彼女に愛してると言う手話を使っていた。
愛する人が障害を背負っているのに、なぜ、あぁいった感情を抱いてしまったのでしょう、、、、。
そこもまた理解できない。
健聴者が手話を覚える理由はそれぞれだと思うけれど、少なくても良心があり、人の気持ちを理解することができる人なのでは、と個人的には思ってしまう。
こういうのを先入観って言うんだろうな。
よくないことなのかも。
あとは、
「障害者」という言葉が、なんかやっぱり気持ち的に嫌な気分になる。
この「害」という漢字を嫌う人もいますよね。
同じ難聴の方に、私は「害」ではない。この漢字を使われると聞こえないことが「害」と言われている気がして気分が悪いと言っていた人がいて、
そういう考えもあるんだって思ったことがあります。
私だって「健常者」か「障害者」かと言われたら
「障害者」だもん。
だけどね、30代までは「健常者」だったんだよ。
「健常者」だって、この先のことはわからない。
いつ病気するかも、事故に遭うかもわからない。
嘘と本音についてのメッセージ性もあったけれど、隠蔽とか、心情とか。
現実に起こっていることに目を背けてはいないと言うメッセージ的なものは伝わってはきたけれど、
私は何かモヤモヤする映画だったな。
それは私が障害者という立場で観たからだと思う。
チュロスと飲み物を買って見ながら食べるつもりでしたが喉を通らず、映画館を出てから食べた。
この映画のあらすじは知っていたし、この事件のニュースも当時見ていたので犯行動機などもおおよそのことは知っていて観に行ったのだけれど、
あまりに残虐な事件の記憶も蘇り、心に影響を及ぼしてしまった。