こんにちは(*^◯^*)




私は失聴してから娘を授かりました。
私は健聴者からの大人になってからの中途失聴者、お父さんと娘は健聴者です。


赤ちゃんの泣き声すら聴こえない状態で、色々と工夫し、家族の協力も大きかったし、どうしたらいいのか悩みながら子育てをしてきました。今も途中ですが。

保育園には5年間お世話になり、父母の行事は全てお父さんに。

小学生になってからは、私が要約筆記通訳者を市から派遣してもらい、参観日やPTAに参加していました。

要約筆記通訳者を派遣することで、子どもがイヤな思いをするんじゃないか?

お友達に何か言われるんじゃないか?

という不安をいつも私自身が抱えていました。

お友達に何か言われた時に、強い心を持って欲しいと願い、娘にも私の耳の事情は常日頃からお話して、お友達から言われるかも知らないことも前もって話していたし、通訳者のことも前もってこういう人と行くからね、と説明していました。

と言うのは以前にもこのブログで書きました。


その当時、娘に聞いた事があります。
通訳の人と一緒に行くけどイヤじゃない?って。

「イヤじゃないよ、だってそうしないとママは聴こえないからわからないでしょ!〇〇も通訳者の人と会いたい!」と、言っていたので、安心して学校行事に参加していました。


最近は、人工内耳にしてコミュニケーションが容易に取れるようになって、(私は口話が苦手で手話の覚えも悪かったので娘には苦労をかけたと思う。)中途失聴者は口話が苦手な方が多いです。

ママ、今は普通に聴こえるようになったよね!ってとっても嬉しそうに話してくれます←普通ではないですけどね(^◇^;)

娘のお友達が遊びに来てくれた時も、私とお友達が話してるのを見て、娘も嬉しそうにしています
音符

最近になって、
「〇〇(娘)はね、本当は恥ずかしかった…ママの耳が聴こえないから、〇〇のママだけ他のママと違うから。保育園の時だってみんなはママなのに〇〇だけパパだったでしょ。一人だけだよ!何でママじゃないの!って思ってた。学校には書く人も来ていたからすごく目立ってた。あの人誰?、何やってるの?どうしたの?って友達から言われてイヤだった」って。

保育園の頃、父母の催し物があって、歌と、和太鼓だったのですけど、
私はどちらも聴こえないので、我が家だけお父さんだったんです…。


覚悟はしていたけれど、やっぱりそうだったんだって、軽くショックを受けました。

恥ずかしいことでないんだよと言う話は毎度、毎度、聞かせてはいたけれど、

子どもにとっては、みんなと違う=恥ずかしいと思ってしまうんだな…って。←うちの場合はですけどね。

例え、聴こえないままだったとしても、いつかそう言われる日が来るだろうとは予測はしてはいましたけれど。

私が聴こえるようになって娘も当時の事を言いやすくなったのかな…。
成長して自分の言いたいことが言えるようになったのもあるのかな…。

聴こえない親を持つ子のことを「コーダ」と言いますが、

親が聴こえない子育て、その子ども達の気持ちなども収録されたDVDを私が親になり購入しました。

少しでも娘の気持ちを理解できたらって。
聴こえないママのことを子どもはどう思うのかな…という心配が私にはあって。←ダメダメな母親です。

聴こえないママの子育てのヒントも欲しかったです。




娘の恥ずかしいって気持ちも理解は出来るし、当時はパパやママにも言えなかったんだろうし、小さいから言葉にしたくてもできなかったと思うし、同じ境遇の人もいないから話せる人も居なかっただろうし、小さいながらモヤモヤを沢山抱えていたんだなって。


私自身が不安に思っていたから娘にもそう言った気持ちを抱かせてしまったのではないかって今となっては思うので反省すべき点です。

子どもって親の感情を鋭く察知しますものね。

反面いい事もありましたね。
簡単な手話なら娘も使えるので、お友達に、手話ができるの?すごーい!教えてー?と言われたんだぁと言う話を嬉しそうに話していた事もありました。

振り返ると、私は何かにつけて「聴こえない」っことに、こだわり過ぎてしまいましたけど、子どもは大人になっていく過程で聴こえない人もいるし、色んな人がいると言うのを、自然と学んでいく物なんだろうなって思うので、神経質になり過ぎなくても良かったのかな…と思います。

聴こえないママのことを恥ずかしいと思っていた幼少時代も、大人になればきっと理解できる日が来るだろうって思いますし、そう思えるようになりました。

私は失聴し、自信を無くし、今でも正直言うと自信はありません。どちらかと言うとネガティブ思考です。

失聴当時の私は、常に不安と隣り合わせでした。


しかし、今は子どもの前だけは、気丈に振る舞っています。
ママに任せなさい!と。本当か⁉︎(笑)

少し嬉しそうな娘です。

当時の娘の気持ちを知ることができたし、言ったことで娘自身も少しはスッキリできたんじゃないかなと思います。

追記です。
聴こえない親を持つ聴者のことを「コーダ」と言います。
つまり子どもは聴こえると言うことです。
抜けてしまってました。