和野集落は和野漁港にベースを置くことを予定するマリンレジャー業者の参入を嫌がっていたんだったよね。
その和野集落とはいったい誰かということになるのだけれど、
地道にあたりをつけたところで、意思の総体ともいえるキャプテンは和野集落で居住しているとは限らないわけです
町議会が嫌がる雰囲気をみせているとすれば、町の空気そのものが嫌がっている
県議会が嫌がる雰囲気をみせているとすれば、県の空気そのものが嫌がっている
ということで、誰か特定人物の思いが強く反映された結果として絞れるというものでもありません
プライベートビーチと政治介入
不動産取引にどこまで政治介入を行えるか
私経済取引
26日は奄美市笠利町崎原集落(打田原の隣の集落)で、滝藤と表札を掲げる人物と会話する機会がありました。
個人所有の土地区画にとどまらない集落・自治体の介入について深く考えてみることのきっかけとなりました。
彼(he)は基本、大陸型の見識を備えています。
アメリカ大陸などでそうであるように、
敷地内では自分で自分の身を守る
というようなことを徹底する世界をもっていると感じました。
大陸では、敷地内に進入してきた異物から身を守るすべは、みずからの対処によって、危害を防いでいくしかありません。
家屋などの敷地に侵入してくる異物は、通常、武装していてもおかしくないととらえるわけです。
銃社会といった要因があるといったことも関係してくるには違いありませんが
侵入者をかわりに誰かが防いでくれるということなどはありえないという世界感が徹底されているわけです。
集落のしきたり・ならわしといったものを信奉している信者と、そういったものを毛嫌いする多数派の現代系市民とで繰りひろげられるせめぎあい。
集落生活というのは宗教そのものだからな
異教徒には肌があわないで当然だろう
和野漁港を使わせたくないのは市とか県とかには限らないけどアドバイスを誰が行ったかわからないようにとするようなことが日常茶飯事に行われている団体で県議員とか町議員とかに適当な褒美を与えて穏便に対処するように、そしてその仕事はしなければならないという方向へ話をもっていくこともあるのかな。
指揮系統は悲しいほどに単純・明快・旧来体系の踏襲となれば、町の意思が、集落民の総意を形成する。
町の意思が、集落民に対して多数決的に求められている意思表示の表明結果に直接つながる
町(町議員)がこういった→同意
といった文化をもっているわけです
議員は、町や県にアドバイスされたなどと、口がさけてもいえません
つかいっぱしりは文化だ
いつか、訂正できるように、なりたい。