みなさまこんにちは、
ドルフィンブルーウォーターの藤沢紀子です。
週末の3日間に代官山でマニーシャの「死を超えて生きる」瞑想のクラスに参加してきました。
今年は、父が眠るように静かに亡くなり、生きていたと思っていたのにもうそこに「死」というゴールがあるということを身近に感じさせてくれる年でした。
誰かが亡くなったときに、また誰かがガンになり余命いくばくもないと聞いたとき、通常は他人事で「死」はまだ自分には関係ないと思っていることが多いようです。
日本の文化では、「死」は忌むべきこととしてとらえられています。
でも「死」とは、本当は何なのか?に真摯に向き合う3日間でした。
そして、瞑想の深さをさらに体験する機会でもありました。
マニーシャは、OSHOというマスターのもとで長く一緒に過ごした弟子のひとりなのですが、看護師や助産婦という経験を通してもとても身近に多くの死を感じてこられた方なのだと思いました。
死の瞑想をリードするというと、ちょっとオドロオドロシイような恐ろしげなイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、彼女自身はとてもクリアで明るい陽気なお人柄です。
瞑想のクラスなのに、ダンスがもりもりいっぱいで、瞑想で内側に入り、ダンスで体を動かしながら内側に入り、静と動が激しくミックスするようなクラスでした。
何年もSBHトレーニングでご一緒している懐かしいメンバーや、初めて逢うのにとても懐かしい感覚がする人や、いろんな出逢いがありました。
どれも印象的な瞑想でしたが、
「夜寝る前の死の瞑想」も毎日ユニークなチャレンジでした。寝る前の5分間くらいをもう死んでいくと思って瞑想するというものなのですが、私は寝つきがよく5分たたずに毎日眠りに落ちました。青白い光が見えてきたら眠りにつくようにとのことですが、2、3か月続けると慣れてくるとのことでした。
「生きる」ことと、「死」を絵に描いたり、みんなで大切な人を亡くした体験を語り合ったり、当たり前ですが人の数だけいろんな死があるのだなと思いました。
マニーシャの誘導での「死の瞑想」は、さらに強烈な体験がありました。体が動かなくなり、川に漂いただ流されていき、火葬でゴォーと燃える火の中に入り、灰になった体が風に飛ばされていくのを感じました。そして拡散したエネルギーになったものがまた新しい子宮に宿り、心臓のドクンドクンという音に包まれてもう一度この世に生まれる体験をしました。
生まれて新しく世界を見た瞬間に
「何かとても大切なことを忘れている」ことに気が付きました。
私たちは、生まれ変わるときにすべての記憶が消えて生まれてきます。ほとんどの人は前世を覚えていません。無意識に生きて、無意識に死に、また無意識に生まれて無意識に生きるといいます。
けれど、意識的に死ぬことができると、記憶を保ったまま生きることができ、もう生まれ変わることがないそうです。
私は、今まで「瞑想と死」をつなげて考えたことがありませんでしたが、
意識的に死ぬために瞑想はとても助けになりそうです。
もちろん意識的に生きるためにも瞑想はとても役に立ちます。
「瞑想は、とても良いものだ!」と直感的に感じて、今までいろんな方にお伝えしてきましたが、これからはもっと意識的に瞑想をお伝えしたいし、自分自身でももっともっと身近に瞑想と親しんでいきたいと思いを新たにしました。
OSHOの伝えたかったものの一片に触れた思いのするクラスで、人が自由にのびのびと軽やかに生きるために瞑想は欠かせないもので本当に大切なものであるとの思いが強まりました。
わたしが今、お伝えしているのは、ハート瞑想というハートを扉にして自分の内側に入っていくという穏やかな方法ですが、女性にとても人気があります。もちろん繊細さを育てたい男性にもおすすめの瞑想法です。
今月は、受容性をさらに開く「愛のまなざし」の瞑想法です。初めての方でも大丈夫ですので興味をお持ちの方は、どうぞいらしてくださいね。
ハート瞑想お茶会「愛のまなざし」
9月24日(日)午後2時~午後4時
参加費:2000円(ロースイーツ、ハーブティー付き)
参加ご希望の方は、下記お申込みフォームよりご予約の上お越しくださいませ。
代官山は、緑がいっぱいの素敵な場所で会場の窓からも大きな樹々が風にそよぐのが見えました。
コース中のランチは、体に良いベジ弁当が配達されていました。
真ん中の日には、ローフード弁当を手作りしてもっていきました(*^^*)
ソースは、くるみと松のみの和風ジェノベーゼ味です。小豆入りの玄米おにぎりもつけました。