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MERKABA~マカバ~

ヘクサグラムからマカバになるっていいことだよね?

クロアチアは、旧ユーゴスラビア。
「ユーゴスラビア」とは「南スラブ人の国」という意味。


「スラブ人」とは「中欧・東欧に居住するインド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す民族集団」であって、1つの民族を指すのではなく、本来は言語学的な分類に過ぎない。

「スラブ人」の多くは、コーカソイド(白人)人種の特徴を持っている。原住地はカルパティア山脈周辺と推定されており、スキタイ人やサルマタイ人を吸収同化して同一の言語集団として成立した。

その後ヨーロッパ各地へと移住する過程で、6、7世紀頃まで言語としてある程度の一体性を持ち、次第に東スラブ人、西スラブ人そして南スラブ人といった緩やかなまとまりから、さらに各地のスラブ民族を多数派とする集団へと分化した。

東スラブ~ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人
西スラブ~チェコ人、ポーランド人、スロバキア人
南スラブ~旧ユーゴスラビアのボシュニャク人、セルビア人、モンテネグロ人、クロアチア人、スロヴェニア人、マケドニア人、ブルガリア人



「クロアチアの食べ物ってどんなかな~?」とダンナが言った。



北イタリアでは、東ローマ帝国の影響力が弱まるにつれて、異民族による侵略がおこなわれるようになり、ヴェネツィアは、侵略者に対抗するための、沿岸湖沼地帯における相互扶助組織の街として始まった。726年には、最初の指導者としてオルソ・イパートが選ばれ、東ローマ帝国からの承認を受け、ギリシャ語で執政官を意味する「ヒパトゥス」と「ドゥクス(公)」の称号を与えられた。

811年から始まるパルテチパツィオ家が現代のヴェネツィアに連なるの街へと変貌を始めた。初代のアンジェロ・パルテチパツィオは、橋、運河、防壁、要塞、および石造建築を充実させ、街は海上へと拡張し、現代の海上都市ヴェネツィアの原型を作り上げた。彼の息子のジュスティニアーノ・パルテチパツィオは、マルコの遺体をアレクサンドリアからヴェネツィアへと運び、ヴェネツィアの守護聖人とした。

991年に就位したピエトロ・オルセオロ2世以降、ヴェネツィアの関心は本土よりもアドリア海に向けられた。東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝バシレイオス2世の金印勅書によりヴェネツィア商人は免税特権を与えられ、東ローマ帝国との貿易が著しく拡大された。この特権は、東ローマ帝国人にさえ与えられていなかった。1000年には、6隻から成る遠征隊をイストリア(現在のスロベニアやクロアチアの沿岸部)に派遣し、ヴェネツィアの宗主権を認めさせた。また、スラブ人海賊を壊滅させることにも成功した。

その後、現在のアルバニア沿岸地域まで、アドリア海におけるヴェネツィアの支配権ならびに東ローマ帝国全土における免税特権を保証する金印勅書を獲得し、ヴェネツィアは名目上も独立を果たした。

...というわけで、クロアチア沿岸部では対して気にしなくても美味しいものが食べられそう。



言葉は、声に出して相手に伝える場合と文字として相手に伝える場合がある。

声に出した言葉には心がこもる。声には大きさや抑揚の違いが現れ、対面していれば表情やしぐさ、相手を見つめる視線までが言葉とともに相手に伝わる。

文字では、そういったプラスアルファはない。

口伝えで伝えてきた文化が、文字として表現されるとき、抜け落ちる部分があると思う。

『古事記』は口伝えでの伝承の文字表現。それも1300年も前に表現されたもの。

日本語ではあっても、今では理解しがたい言葉もあれば、今とは違う意味合いの言葉もある。

今では理解しがたい部分を補うには、『古事記』と近い年代の文章が必要で、それに対応できるのは、『万葉集』でしかありえない。

...と、また神社検定のテキストを買ってしまった(^^;)

2015年1月5日、お昼過ぎ。

辻田さん

辻田さ~ん(しょっちゅう奈良や和歌山辺りの山中に潜んでいる方)、どこにいますかぁ~?

と、心の中で叫びながら撮った写真。

辻田さん

その場所はこの辺り。

辻田さん

(^^)ホントにいたかしら、辻田さん。



シリアに行ったのは、2005年5月。

レバノンから陸路で国境を越え、ダマスカスに近づくと、現地のガイドから

「あの山がカインがアベルを殺したカシオン山です」

と言われて、出雲神話のように、聖書の物語にも「現場」があるんだなと思った。


「最近、油田が見つかったんです。シリアは変わりますよ」

そう聞いて、新たな新都市の大規模な計画も発表されていたのに、まさか内戦が止まらなくなるとは...油田の権利争いなのかな。

ダマスカスは、最も古くから人が住み続けていた都市と言われているのに、と最近よくシリアで見た風景や遺跡、モスクを思い出す。

この写真はダマスカスのウマイヤド・モスク。

705年に建設された世界最古のモスク。

東ローマ帝国の教会をモスクとして改修したもの。

ここには、洗礼者ヨハネの首が残されていて、イスラム教徒にとってもキリスト教徒にとっても聖地。

回廊に囲まれた広場のような大理石の床の上を陽射しにうんざりしながら歩いた(^^;



巡礼者は今もいるのだろうか。