琉球国つまり沖縄は、第二次世界大戦での死闘が衝撃的過ぎて、それ以前の歴史については、あまり語られていないのではないか、知られていないのではないかと思う。戦時中の記憶を留めるところか南国リゾートかというイメージ。
もちろん琉球王朝があったことは首里城でわかるけれど、その琉球王朝がどれほどの歴史を持つのか、どういった経緯で日本に帰属?服属?することになったのかはサッパリ。
戦後の復興での様々な苦難を考えれば、そうそうそこまで手を伸ばせなかったということもあるだろうし、私自身、沖縄は2回目で、初回は社員旅行だったから観光スポットを一巡りして終了。
NHK BS時代劇「テンペスト」で琉球王国末期のドラマを見ていたダンナが「沖縄に行こう!」と言ったとき、「前と同じ所を周るだけじゃ嫌よ。美ら海水族館は必須よ」とキリッと睨んで、2度目の沖縄に出発。1月半ばだというのに可愛らしいピンクの桜がチラホラ咲いていた。
定期観光バスで、今帰仁城(なきじん・ぐすく)跡に行ったときに、琉球国統一前に争っていた三大勢力の1つが拠点としていた城跡が世界遺産に登録できるまでに整備されていたのだなと何だかホッとした気分になった。。
城跡ということで、残っているのは曲線を描いてそびえる城壁だけなのだが、今帰仁村歴史文化センターが併設されて、発掘品から今帰仁城跡を含む今帰仁村の当時の生活を知ることができる。
平安時代末期から島内各地に地方有力者の城(グスク)が作られていき、鎌倉時代中期に北山・中山・南山と三大勢力に集約され、北部を制圧していた今帰仁城は1416年(1422年説も)に中山の尚巴志(しょう・はし)に滅ぼされたという経緯。
その後、1429年に一旦琉球国は統一されたが、中央集権化がうまくいかず、王の重臣であった尚円王(しょう・えんおう)が王位につくことになり、苗字は同じ尚(しょう)なのだが、第二尚氏王朝が1469年に成立。日本では1467年に応仁の乱がおこり戦国時代のただなかの頃。
その第二尚氏王朝の第三代国王、尚円王の息子・尚真王(しょう・しんおう)が八重山諸島、与那国島をも平定し、中央集権を確立させた。
...と琉球王朝の歴史を追ってみると、それほど長い歴史があるわけではないが、7世紀の『随書』には服属国として「琉求」という名称が残されているし、建物や服装にも大陸文化の影響が大きく、小さな集団でも大陸との交易があったことは明確で、古代の文化レベルが高かったことが推測される。
様々に興味深いけれど、暑いから、ここまでにしておこう(^^;