無料のボランティアガイドツアーへの
参加に誘われて近隣の町歩き。
曲がり角の民家の塀に張り付くように
古い道しるべがあった。
左 はせ いせ...などと
書かれていて
昔の人は漢字が読めなかったから
ひらがななんでしょうね。
近いところが一番上で
遠いところほど下に書かれてますね。
と説明を受けたが、はせ=長谷と
いせ=伊勢では、距離の差がありすぎ!
そういえば、出雲の駅近くでも
写真に撮ったものがあった。
これは町名が漢字でわりと近くの案内。
JR奈良駅東口には背の高い石柱が
建っていたがあれも道しるべだったか?
明治45年3月建立の平城宮跡への案内
のようだ。
近鉄奈良駅前のバス案内所の横にも
張り付くように聖武天皇量の案内がある。
法華寺や海龍王寺に向かうバスに
乗るために安らぎの道を渡ると
やくよけ観音への案内がある。
指さし表示部分が浮き彫り。
「是より北二丁」
...「丁」ってどれくらい?
「丁」は「町」とも書き
1町=60間、1間は6尺で...
...
今の距離で1町は約109m強。
この道しるべから400mほどの距離に
慈眼寺がある...距離が合わない!
道しるべが間違っているわけではなく
お寺の方が場所を移したとのこと。
古い道しるべをそのままにしているのは
何故なんだろう?
地元・浦和でも古い道標はあった。
氷川女體神社の境内。
道路拡幅工事の際、移されてきたとか。
これは現役を退いた引退生活。
奈良や出雲の道しるべは、建てられた
場所を離れず、今でも現役。
さすがに天皇陵や平城宮は場所を
変えることはないけれど
変化する町並みの中に変わらず
建ち続ける道しるべは古い歴史を
持つ町の変えたくはない気持の
杭になっているのかもしれない。