ついに息子が小学校に入学した。


37人学級で一クラス。。37人の内2人は支援学級で普通学級にカウントされないらしい。なので、37人でも35人学級として、一クラス編成になる。


息子はお察しの通り支援学級に在籍することになる。


私はここでまたひとつ大きな疑問を持つ。


果たして息子は支援学級が必要なのか?


もちろん、一年くらい前から相談支援さん、放課後デイの先生、校長先生並びに教頭先生と面談を重ねてきた。

しかし、療育やこども園の成果もあってか(できるなら、私の家庭教育も含めたい)息子はこの一年で大きく成長した。


確かに通常発達障の子達に比べると、反応が少し異なる気がする。

さらに、多動で不注意である。


でも、それが支援級にいくほどのレベルなのか?とも最近よく思う。

その程度の問題はどの子にもあるのではないか??

(現に私は彼よりひどかったように思う。)


もちろん、私は支援学級を否定しているのではない。息子を過大評価しているわけではないとも思う(多分)


私が思うのは

色眼鏡で見ているのではないか?

ということ。


色眼鏡はADHDやスペクトラムという診断名のこと。

まず、そこからみてしまうと、彼のはみ出しがちな行動が、病理としてみえてきてしまう。

いや、はみ出した行動にでなくても

そういう子供だ

と枠にはめてしまうのではないだろうか。


なぜなら、病院で先生に診断書を書いてもらっているからだ。それに権威が宿る。


そして、私も息子が頭ごなしにしかられないように学校に息子の特性を話している。


診断と私の話と、実際の息子の様子は違うなぁと感じても、

学校側はさらに息子にステレオタイプを持つのではないだろうか?


でも、診断があるから、お母さんがそういうから、

そうなんだろうとなるのではないだろうか。


そうはいっても、その診断名も優位にはたらいたことは沢山ある。

それは多少の逸脱行為は大目に見てもらえることだ。そして、デイに通えること。




ここで、正直にいうと、中学年くらいで支援級を除籍できればと思っている。

(実際、息子の様子を見てきて、学校生活に耐え得るようになっていると思ったからだ。)


もちろん、それは息子の意思が基本なのは大前提だ。


それには、どれだけ息子が集団の輪に加われるか、

そして、何より自分自身を把握できるかだと思っている。

一番はどれだけ自分を把握できるか、

自分を客観視できるか

だと思う。



自分は他の友達とそう変らないはずなのに、特別に自分だけ先生がついている。なかよし教室にいく。


なかよしってなんやろう?

放課後デイってなんやろう?

障害ってなんやろう?

何でやろう?

自分は他の子たちと何が違うのか?

疑問を持って欲しい。

そして、大いに悩んで考えてほしい。


そこから、彼なりの答えを出していってほしい。

これから自分はどうなりたいのかを。。

私達大人の色眼鏡を外してほしい。


ううん、外さなくても悩んで考えるだけでも

人間的に大きくなれると思うから。


もしかしたら、支援学級の除籍は母のエゴイズムかもしれない。

本心はそれが潜んでいる。

息子は誰にも負けないぞ、賢いんだぞと闘志を燃やしている私がいる。


でも、母のそんなエゴイズムにも負けないでほしい。


私はその時の息子の意思を

そのままの息子を尊重したい、

いや、するべきだと思っている。


ちょっと、着地点が不明になってきたけど、考える力を養ってほしい。

支援級は過保護なのかもしれなかった。

でも、それに甘んずることなく

自ら疑問に持てるくらいに成長していってほしい。


入学に思う

母のエールです。