私には6歳の息子が一人いる。次の4月で小学校に上がる。
5歳10ヶ月の頃、発達障害(スペクトラムとADHD)と診断された。ちなみに発達診断では発達指数が80を切る項目があり、療育手帳を取得できる知的障害レベルだ。
さて、息子、見た目や通常の会話からではその障害がわからない。
確かに常にソワソワしている。行列に並べず、どこかにいってしまう。面と向かって人との対話が苦手で、質問の答えが返ってこないなど。
確かにちょっと他の子と違うかなと観察力の鋭い方はわかるかもしれない。
この発達障害といわれる障害、何が障害なのだろうか?と息子を観察して、しばしば考える。
子供だけに限らず、大人にだってそういった行動は多いと思うからだ。
まず一つ思うことは集団生活がしにくいということだ。
大多数の人が予想する範囲で私達は行動するが、一人だけ逸脱した突飛だと思われる行動にでてしまう。そして、それに本人は気づかない。もしくは、気づいても気にならなかったり、皆と同じ行動を取ることが重圧に感じる。
よく言う「みんなと同じができない・しない」のだ。
また、遊びなども含めてルールも苦手だ。誰かの決めたルールに沿って行動していくのが、プレッシャーになるのだろう。
でも、私はこれが果たして障害なのだろうかと思う。
この皆と同じことができないという視点だけでいうと、人類の生存において必要なものだと思うからだ。
もし、天変地異が起きて皆が皆同じような行動をとり、その行動が間違っていたら、人類の生存確率は下がるのではないだろうか?
みんなと同じ行動を取らない人たちが個別に独自に行動することで、人類の種の保存の確率があがるのではないだろうか。
もちろん、実生活とは別の観点だけれど。
大きな大きな視点からだと、発達障害の人たちの世間で言う困った行動は、人類生存にとって必要なものではないだろうか。
例えば、今、感染症対策で多くの人がマスクと外出自粛をしているけるど、されていない人も数少ないながらおられるだろう。
そして、そんなことはないとは思うけど、後々何年後かこの感染対策がエラーだとしたら?マジョリティが滅び、マイノリティが生き延びる可能性もあるのではないだろうか?
そう、私が言いたいことは、発達障害というと悪いように受け止められがちだけど、社会に馴染めないというマイノリティも必要ではないかということ。
先日ブログにもあげさせてもらった『LIFE SCIENCE』にも。。
「ただ、生命科学の視点では、いろんな遺伝子を持った人が多ければ多いほど、人類は滅亡せず、何が進化の役に立つかはわかりませんので、バリエーションが豊富なほどいいのです。人は、ただそこにいるだけで生命全体の役に立っていると言えます。生きるに値しない命などありません。もちろん、本人にとって苦痛かどうかはまた別の話です」
(『LIFE SCIENCE』(吉森保 著)94ページ引用)
生きるに値しない命などない
本当にそうだと、心から思う。科学的に実証してくれて、嬉しい。
でも、そうはいっても、実生活を営んでいくことは大変なことも多い。
このことについては、沢山、思うこともあるので少しずつでも書けていけたらと思う。
初めて、強調をやってみました![]()
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