【追記しました。6/22】
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前にも書きましたが、5月は、とある試験に集中するため、オペラもコンサートも行く余裕がありませんでした。。。
というわけで、飢えてます。いろいろ。
そこで、この日は午後からオペラシティの近江楽堂のランチタイムコンサート(リコーダーとチェンバロ)のあと、横浜美術館のヌード展へ。
テート・コレクションです。
イギリスからよくぞ来てくれましたー。
うーん、平日なのにそこそこ人がいます。
しかも手をつないでいるカップル率が高い。さまざまな年齢層の。
まあ、それはいいとして、ロダンの接吻は一瞬の隙をついて写さないと、他の人が画面に入ってしまいます。
一瞬をねらって撮影したつもりでしたが、あとで見たら、どなたかのスマホの画面が写り込んでいました
男性の手が両方見える、この位置がお気に入りです
右手(写真では向かって左)はともかく、左手は女性を抱き締めていませんが、本を持っているからです。
2人で本を読んでいたところ、内容に刺激されて、この接吻へ至った、ということだったはず。
このほかの全体的な展示内容は、私のニガテな立体やモダンが多くて、うーん、、、
特に後半に展示されていた現代モノはメッセージ性が強く、チカラを抜いて自然体で鑑賞できなかったかも。
男性のヌードもありました。
アートと承知しているけれど、リアリズムを追求したもの?をたくさん見せられると食傷気味に…
やはり女性のヌード作品のほうが見慣れているのよねー。
それも鑑賞用に美しく描かれているわけですし
まぁ、現代アートの表現って、そういう過去の名作や精神性に対抗するメッセージなのかもしれません。
ただ、語弊を恐れずに言えば、シュプレヒコールを入れ替わり立ち替わり延々と聞かされているような気持ちになったりも
↑個人の意見です(汗)
現代モノに関しては、すべての作品をつぶさに鑑賞して、五感を解き放って感じ切ると、身がもたない、というような感覚になりました。
まぁ、ヌードが題材なので、鑑賞者たち=世間の目への挑戦的なメッセージが多かったのかもしれません。
あるいはテートモダンがそういう傾向なのでしょうか。
もしくは、その両方か。
前半は現代モノではなく、のんびりゆったり鑑賞モードでしたが、
後半の衝撃が強すぎて、
少々疲れました
【以下、6/22 追記】+++++++++
ミレイの「ナイト・エラント」やレイトンの「プシュケの水浴」、ドレイパーの「イカロス哀悼」などの美しい作品や
ただ、これらは大作が多いので存在感はそれ以上に感じられました。
また、19世紀の作品ですがターナーのヌードのスケッチは新鮮でした。
例を挙げると、高齢の作者(男性)の壁面を覆いつくすセルフポートレートや
表現の意図はわかりますが、お腹いっぱいになってしまいました
戦闘モードになりたかったのではなく、良い空気を吸ってくつろぎたかったんです。。。
なので、コレクションでリフレッシュ
コレクション展も、この企画展とリンクさせていると思われる作品が多数ありました。
エンジ色の背景の作品は、コレクション展の守屋多々志の「愛縛清浄(あいばくしょうじょう)」。
この作品のタイトルは「男女が四肢をもって離れがたく縛(いまし)めあっていることは本質として清浄であり、菩薩の境地」という意味で、密教の経典の理趣経からきているのだとか。
あらま、なんだかステキ
鑑賞後は、赤レンガ倉庫でパンケーキ食べたいかも〜と思っていましたが、、、