(6)【白川水源】→【高千穂峡】日本の神話 【天孫降臨と「高千穂」】→【通潤橋】-(旅行3日目)
高千穂と言えば天孫降臨の神話で有名です。アマテラス(天照大神)の孫のニニギ(天子の孫=天孫)が天から降ってきたので天孫降臨(てんそんこうりん)と言います。
日向國風土記逸文での「天孫降臨」の現場実況中継。
日向の國の風土記に曰はく、臼杵の郡の内、知鋪(=高千穂)の郷。天津彦々瓊々杵尊、天の磐座を離れ、天の八重雲を排けて、稜威の道別き道別きて、日向の高千穂の二上の峯に天降りましき。時に、天暗冥く、夜昼別かず、人物道を失ひ、物の色別き難たかりき。ここに、土蜘蛛、名を大くわ・小くわと曰ふもの二人ありて、奏言ししく、「皇孫の尊、尊の御手以ちて、稲千穂を抜きて籾と為して、四方に投げ散らしたまはば、必ず開晴りなむ」とまをしき。
時に、大くわ等の奏ししが如、千穂の稲を搓みて籾と為して、投げ散らしたまひければ、即ち、天開晴り、日月照り光きき。因りて高千穂の二上の峯と曰ひき。後の人、改めて智鋪と號く。」
------いい加減な訳----------------------------------------------------
事も有ろうに天上界から天の磐船で飛来した「ニニギノミコト」は臼杵の郡の二上の峯に降り立った。しかし辺りは暗く、夜なんだか昼なんだか何も見えず訳が分からずに立ち往生してしまいます。そこに現れた二人組み。ツチグモ族の「大くわと小くわ」と名乗った。曰く、「ミコトがお持ちに成っている稲穂から籾を取って四方に撒けば、きっと晴れますよ」。ミコトがその通りすると、みるみる空が明るくなり、日と月が輝き始めた。これもって、この地を「高千穂」と名付けた。
この時に、一緒に三種の神器を持って来ました。それは「八咫鏡」・「八尺瓊勾玉」・「天叢雲剣」と言われている。
(天の磐座を勝手に天の磐船に変更していますが、神を迎える大岩を「磐座(いわくら)」と呼ぶが最初からそこに有った訳では無いだろう。それなら、神様なんだし自分で乗って来たと考えるのが自然だと思う。又、天から来るのだから乗り物も必要でしょう。
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天孫降臨したとされる地には諸説があり「宮崎県高千穂町と鹿児島県霧島市高千穂峰」とがあります。。それぞれを、「臼杵高千穂説」、「霧島高千穂説」があり、両者譲りません。梅原猛先生は(京都市立芸術大学名誉教授)は「臼杵高千穂説」を唱えています。私の感想は、単純に神話から来るダイナミックな印象から選ぶと霧島の高千穂峰でしょうが、米の生産に適した場所におりたっと見るべきなので宮崎県高千穂町に軍配を上げたい。
しかし、現実には「天から神様が降りて来て地上の支配者になった」のではなく、渡来人たちが侵略と征服を繰り返しながら、一方では稲穂(籾)を持ち込み大規模稲作を伝えたため、食料が大量に生産されて人口が増え、国家が形成されて行ったのではないでしょうか?。企業で言えばM&Aを繰り返して大きくなって行った企業は社史を編纂する時きっと似たような事書くんでしょうね。
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高千穂と言えば天孫降臨の神話で有名です。アマテラス(天照大神)の孫のニニギ(天子の孫=天孫)が天から降ってきたので天孫降臨(てんそんこうりん)と言います。
日向國風土記逸文での「天孫降臨」の現場実況中継。
日向の國の風土記に曰はく、臼杵の郡の内、知鋪(=高千穂)の郷。天津彦々瓊々杵尊、天の磐座を離れ、天の八重雲を排けて、稜威の道別き道別きて、日向の高千穂の二上の峯に天降りましき。時に、天暗冥く、夜昼別かず、人物道を失ひ、物の色別き難たかりき。ここに、土蜘蛛、名を大くわ・小くわと曰ふもの二人ありて、奏言ししく、「皇孫の尊、尊の御手以ちて、稲千穂を抜きて籾と為して、四方に投げ散らしたまはば、必ず開晴りなむ」とまをしき。
時に、大くわ等の奏ししが如、千穂の稲を搓みて籾と為して、投げ散らしたまひければ、即ち、天開晴り、日月照り光きき。因りて高千穂の二上の峯と曰ひき。後の人、改めて智鋪と號く。」
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事も有ろうに天上界から天の磐船で飛来した「ニニギノミコト」は臼杵の郡の二上の峯に降り立った。しかし辺りは暗く、夜なんだか昼なんだか何も見えず訳が分からずに立ち往生してしまいます。そこに現れた二人組み。ツチグモ族の「大くわと小くわ」と名乗った。曰く、「ミコトがお持ちに成っている稲穂から籾を取って四方に撒けば、きっと晴れますよ」。ミコトがその通りすると、みるみる空が明るくなり、日と月が輝き始めた。これもって、この地を「高千穂」と名付けた。
この時に、一緒に三種の神器を持って来ました。それは「八咫鏡」・「八尺瓊勾玉」・「天叢雲剣」と言われている。
(天の磐座を勝手に天の磐船に変更していますが、神を迎える大岩を「磐座(いわくら)」と呼ぶが最初からそこに有った訳では無いだろう。それなら、神様なんだし自分で乗って来たと考えるのが自然だと思う。又、天から来るのだから乗り物も必要でしょう。
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天孫降臨したとされる地には諸説があり「宮崎県高千穂町と鹿児島県霧島市高千穂峰」とがあります。。それぞれを、「臼杵高千穂説」、「霧島高千穂説」があり、両者譲りません。梅原猛先生は(京都市立芸術大学名誉教授)は「臼杵高千穂説」を唱えています。私の感想は、単純に神話から来るダイナミックな印象から選ぶと霧島の高千穂峰でしょうが、米の生産に適した場所におりたっと見るべきなので宮崎県高千穂町に軍配を上げたい。
しかし、現実には「天から神様が降りて来て地上の支配者になった」のではなく、渡来人たちが侵略と征服を繰り返しながら、一方では稲穂(籾)を持ち込み大規模稲作を伝えたため、食料が大量に生産されて人口が増え、国家が形成されて行ったのではないでしょうか?。企業で言えばM&Aを繰り返して大きくなって行った企業は社史を編纂する時きっと似たような事書くんでしょうね。
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