【鎌倉大仏】を見学する前に由来を抑えて置きましょう。
*鎌倉大仏の 由来は鎌倉を代表する名所となっている長谷の高徳院の本尊である大仏は、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の晩年になってから作り始めた。「吾妻鏡」 によれば、北条泰時の時に、淨光という僧が諸国を勧進して浄財を集めて歩き、暦仁元年(1238)3月から大仏と大仏殿を造り始めた。北条泰時もその建立 に援助をした。そして大仏開眼は5年後の寛元元年(1243)6月11に行われた。泰時は前年の6月に62歳で亡くなった。この時、建立した大仏は木造で あった。
そして4年後の宝治元年(1247)にこの大仏が暴風雨の為に倒壊したので、建長四年(1252)にあらためて金剛の大仏が造営され始めた。大仏殿は建武二年(1335)と志安二年(1369)の台風で倒壊。更に明応四年(1495)の大津波で押し流され、以来、現在の様な露座の大仏となってしまった。本尊の大仏は阿弥陀如来。阿弥陀如来の高さは12.38m、総重量は121トンである。
因みに奈良の大仏は像の高さ約14.7メートルある。
高徳院の境内の案内図です。

これが鎌倉大仏です。
正月なのに人が少ないと思いませんか?



仏教世界の宇宙の誇大な無限な広がりが感じられます。

大仏様のデーテールに迫って見よう。
瞑想したお顔です。

瞑想をし、印を結んでいます。結ぶのが難しそうですね。
*鎌倉の大仏の結ぶ印は、組まれた足の上に両手を組み合わせたもので、上品上生印、もしくは弥陀定印といい、最高の悟りの状態であることを表わしています。これは阿弥陀如来の印相になります。

斜め横からも撮って見ました。
奈良の大仏さんは背筋が伸びてきりっとしていますが少し猫背のようです。

もう少しアップして。
奈良の大仏さんに比べると「螺髪の数」が少ない様に感じます。
密度が違うのかな?

もう一度全体を見渡して見ると、意外と境内が狭い。記憶ではもっと広いと思っていましたが
記憶ってあてにならないですね。

-------------鎌倉駅へ 続く----------------
*鎌倉大仏の 由来は鎌倉を代表する名所となっている長谷の高徳院の本尊である大仏は、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の晩年になってから作り始めた。「吾妻鏡」 によれば、北条泰時の時に、淨光という僧が諸国を勧進して浄財を集めて歩き、暦仁元年(1238)3月から大仏と大仏殿を造り始めた。北条泰時もその建立 に援助をした。そして大仏開眼は5年後の寛元元年(1243)6月11に行われた。泰時は前年の6月に62歳で亡くなった。この時、建立した大仏は木造で あった。
そして4年後の宝治元年(1247)にこの大仏が暴風雨の為に倒壊したので、建長四年(1252)にあらためて金剛の大仏が造営され始めた。大仏殿は建武二年(1335)と志安二年(1369)の台風で倒壊。更に明応四年(1495)の大津波で押し流され、以来、現在の様な露座の大仏となってしまった。本尊の大仏は阿弥陀如来。阿弥陀如来の高さは12.38m、総重量は121トンである。
因みに奈良の大仏は像の高さ約14.7メートルある。
高徳院の境内の案内図です。

これが鎌倉大仏です。
正月なのに人が少ないと思いませんか?



仏教世界の宇宙の誇大な無限な広がりが感じられます。

大仏様のデーテールに迫って見よう。
瞑想したお顔です。

瞑想をし、印を結んでいます。結ぶのが難しそうですね。
*鎌倉の大仏の結ぶ印は、組まれた足の上に両手を組み合わせたもので、上品上生印、もしくは弥陀定印といい、最高の悟りの状態であることを表わしています。これは阿弥陀如来の印相になります。

斜め横からも撮って見ました。
奈良の大仏さんは背筋が伸びてきりっとしていますが少し猫背のようです。

もう少しアップして。
奈良の大仏さんに比べると「螺髪の数」が少ない様に感じます。
密度が違うのかな?

もう一度全体を見渡して見ると、意外と境内が狭い。記憶ではもっと広いと思っていましたが
記憶ってあてにならないですね。

-------------鎌倉駅へ 続く----------------