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ドーリス未満

毎日の中にある 『綺麗』 『素敵』 『美味しい』を 心に留めておくためのブログです


本日、実家の「離れ」が取り壊されたそうです。




小さいころ、両親と妹と寝ていた「離れ」。

楽しい思い出がたくさんありました。


けれどもやはり、時の流れとともに朽ちてゆくのは止められません。


何年も足を踏み入れなくなっていた場所なのに…

なくなってしまったと思うと、とても大きな喪失感があります。



わたしの実家の敷地には、もともと母屋をはじめ、離れ、蔵などのいくつかの棟がありました。

わたしが生まれてからも、それらは、取り壊しと新築を繰り返してきました。



小学校低学年のとき、2棟あった蔵が取り壊されました。

そのときは寂しいというよりも、むしろ嬉しかったように思います。


大きくて古い土蔵はしんと冷たくて暗く、光の届かない奥では何かが蠢いているような気がして…

「蔵に入れるよ!」というのが、子供のころのわたしにとっては一番の脅し文句でした。


蔵がなくなるのは、「こわいもの」がなくなるということでした。

あの蔵の匂いや ひやりとした空気感などは、今でもよく覚えています。



高校に入ってすぐ、母屋が取り壊され、新しく建て替えられました。

そのときも寂しさはあれ、嬉しさの方が勝っていたように思います。


なにしろ、とても古い建物でした。


虫は入り放題。

多くの部屋が「欄間」なので、エアコンが効かない。

玄関戸は風情ある造りだけれど、いまどき戸締りが「心張棒」頼み。


「わたしの部屋」は、奥座敷のひとつを使っていたのですが…


ずらりと並ぶ古い人形。

鴨居にはご先祖様たちの賞状額。

ベッドに横たわれば、見下ろしてくる「曾祖父」「曾祖母」そして「戦死した祖父の兄」の遺影。


当時のわたしには、新しい家、新しい部屋というワクワクのほうが大きかったのです。





そして、今日。

「離れ」が取り壊されました。


「蔵」や「古い家」がなくなったとき、これほど寂しさを感じたとは思いません。


どちらも、わたしにとって不都合の多い存在でした。

新しいものへの期待もあった。


だから、こんなにセンチメンタルにならずに済んだのかもしれません。



今回なくなった「離れ」には、楽しい思い出がたくさん残っていました。


二段ベッドの上から、妹ときゃっきゃと飛び降りたり。

大きな鏡台で、母が化粧するのをじいっと眺めていたり。

テレビを見ている父の背中に「遊んで」と絡みついたり。


縁側から離れの庭をのぞみ、きれいに咲いたユキヤナギを見るのも好きでした。


電話が母屋と離れの2台しかなかったころ…

毎日のように友達から電話がかかってくると、「ちょっと待ってて」と保留にして、全速力で離れまでダッシュしていました。


なつかしい思い出が溢れるように思い出されて…

それらが寂しさを増大させます。



離れがあった場所には何も建てる予定はないそうです。

「表の庭」と「離れ用の庭」も繋がり、いっそう広い場所ができるでしょう。


そこで、まだ小さな甥っ子や姪っ子が楽しく駆けまわり、新しい思い出を作ってくれることと思います。


時代は進む。

それは決して寂しいばかりではないと思いたいものです。



惜別の思いを感謝に変えて。

さようなら。