最高齢のボーイフレンド? | コンサートホールのお話など

コンサートホールのお話など

レセプショニストとして働いているコンサートホールでのお話や、クラシック音楽やとりとめのないことなどを綴っています。

今日は、お世話になっている方と久しぶりにお会いする用件がございました。父親よりも恐らく10歳以上は年上の「ボーイフレンド」です(笑)


商社マンでバリバリと昭和から平成を生き抜いて来られた、今でもシャキンと背筋を伸ばし、長身でイケメンのダンディーなその方は、会社を定年退職した後も、高齢者施設や小学校の漢字教室など、数々のボランティアに東奔西走なさっています。


そればかりか、小学校で漢字を教える地域ボランティアから、漢検を目指す要望に応え、成果を挙げておられるのですが、大卒なのにもかかわらず、更に今また自らもっと勉強しようと、京都の大学で学ばれていて、論文のみを残す、卒業目前です。大学の授業に出席の時は京都のお寺の宿坊に泊まったりしながら、それはそれは多忙な日々をお過ごしでした。


初めは全く音楽とは関係のない所での、その方、Tさんとの出会いでしたが、音楽、特にピアノも大好きであるという話で意気投合し、松浦健さんのデュ・コンサートにお誘いして以来、ずっとファンになって頂いております。


その時は、お上品で素敵な奥さまといらしたのですが、私が突然に父を亡くしたその2~3カ月後、Tさんもまた、奥さまが突然倒れられ、そのまま天に召されたのでした。


Tさんの奥さまも、ピアノが大好きで、ご自身でもピアノを演奏されていました。私のお誘いしたコンサートで、松浦健さんのピアノの、すっかりファンになって頂いたそうなのですが、久しぶりにご夫婦で出かけられたその演奏会が、最後の思い出のコンサートになってしまわれました。


そんな思い出と、元々のクラシックやピアノ好きということもあって、その後もリサイタルなどには必ずお越し頂いていて、今では私と一緒に松浦健さんの応援をしてくださっています。


今日は、旧制中学の時に、志願兵になった話、2年後に終戦を迎え、その後、富山県の軍楽隊に希望したけれども戦後の混乱で、そういう世の中ではなかったために母親に理解されず、あきらめられたことなど、貴重な体験を聞くことができました。


そうこうするうちに、同じくご高齢で、バリバリとご活躍中のボランティア仲間の方と合流し、ひとしきり地震の話で持ちきりになりました。ボランティア活動中の高齢者施設で、お年寄りの皆さんが不安な時間を過ごしていらっしゃるさまなど、ニュースや自分の限られた体験以外の話を聞くことができ、皆で色々意見を交わし、貴重な時間になりました。


Tさんは、宮城沖地震の時も、阪神大震災の時も、その土地にたまたま行っていらっしゃり、いつも予定が早く終わり、寸前に現地から戻る途中で地震にあわれ、ギリギリの状態でなんとか東京に戻られたという体験の持ち主です。


戦争の頃のことや、今の子供たちを教えていて思うことなど、人生経験の豊かな先輩の話は重みがあり、勉強になりますし、ご自身で世の中の役に立つ為に活躍なさっているお姿に、私もまたこうしちゃおれない気になります。


でも、全員で落ち込んでばかりいるわけにもいかない、元気になることを活動していこうとTさんも最後に締めくくっておられました。


最後は駅の改札までお見送りくださり、息子達へと手土産のお気づかいまで賜り、恐縮することばかりでした。こんな若輩者の私に、何かの折には達筆での御礼状などをこまめに下さったり、本当に腰の低い方です。奥さまの亡くなられたあと、一度お参りに訪問させて頂いた折には、きちんとお茶托付きのお茶碗に、生菓子をわざわざご用意してお迎えくださいましたし、部屋のたくさんの鉢植えの花も枯らさずに見事に咲き、きちんと暮らしておられる様に驚きました。


普段は仕事で若い女子大生とも交流がありますが、世代を超えてどんどん繋がっていくことは、大切だといつも思います。Tさんはいつも私のお手本の先輩です。