ご訪問頂きありがとうございます。
早速昨日の続きをお話させて頂きますね。
「女性は結婚したら家庭に入るもの。
仕事はしてはならぬ」
兄嫁二人も専業主婦でした。
「私から生きがいを取らないで」と頼み込み
1週間のうち2日間だけレッスンが許されました」
そうこうしているうちに出産
それでもレッスンを頑張る私
ベビーシッターにレッスン料は右から左
それでもレッスンを頑張る私![]()
この頃は主人もわたしを理解してくれて
家事を少しは手伝ってくれるようになっていました。
この頃は生徒数は40名以上だったような❓
ある時、保護者の方から一言
「一生懸命レッスンしていただきありがたいけれど、
幸治君(息子)にとってはお母さんは
先生だけなのだから・・・」
今でも覚えています。
「私にしかできないレッスンをしているのだから・・・」
とこんなバカなことを思っていた私です![]()
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確かにさみしい思いを沢山させたと反省していますが、
若気の至りです![]()
居残り保育のある幼稚園を選び、
5時以降は、同い年の従妹宅で預かってもらい
一つ上の従兄弟たちと兄弟のように育っていきました。
少しずつコンクールに参加する生徒も増え
大変さ、喜び、いろいろ味わえるようになりました。
ある新聞社主催のコンクールに参加した時、
発表が次の日の朝刊
新聞配達のバイクの音、
「来た!」
恐る恐る開けてびっくり金賞、銀賞の欄に
我が生徒の名前がズラリ
あれは快感でした。
ひよこのピアノの先生がここまで来た!
ひとりでニヤニヤしたものでした![]()
コンクールで入賞者が増えてくると
賞を取るために我がピアノ教室の門を
叩く生徒も増えてきました。
お陰様で全国大会でも賞を頂けるようになり
指導者賞もいただきました
予選も本選も最初から最後まで聴いていると
コツがつかめてきました。
そして、コンクールでは自分の力不足を
受け止めなければならないこともたくさんありました。
こんなことがありました。
あるコンクールの本選で弾き終わると
その場で一人ずつ講評され、我が生徒さんに
なるとドキドキでした。
それがそれが8人の生徒さんが同じ講評だったのです。
「これどういうこと?」
私の指導法が悪いとしか言いようがないですよね。
その時言われたことは
「躍動感がない」
しばらく悩みました。
そして原因が究明出来、それからのレッスンに
即取り入れ生徒さんが見違えるように上達していきました。
コンクールに参加する事で私自身の足りない部分が
はっきり分かり成長することができたように思います。
しかし、少しずつ私の理想のレッスンから
私の大切に思っている「音楽」から
離れていっているような気がして気始めました。
理想のレッスンに陰りが見え隠れするようになりました。
コンクールの取り組み方はあの全盛の頃とは
違って上手に活用させていただいています。
中国ユースコンクール
最優秀賞 奨励賞 金賞 銀賞 銅賞
PTCコンクール
最優秀賞 奨励賞 審査員賞 ベストデュオ賞etc
全日本ピアノコンクール
全国大会に5名
ピティナコンクール
地区本選 多数出場
C級 全国大会
べーテンコンクール
本選 審査員賞
本選
コンクールが全てとは思っていないにも関わらず
相当頑張った時代がありました![]()
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