囚人銅鑼輝303逃亡黒白書◆since20100707-ilcanmuri



【「いるかんむり」に「子供」と描いて「学(まなび)」】

撲が学園を創ったら、
園章(校章)も制服も創りたいと言うのも在るのだけど、
一番創りたいのは「王冠」なんだよ。


それが昔っからの夢の独つ。


トロフィー的な位置付けで、
「王冠」を生徒達に授けたいので在る。


今回、
「ILCA」と言う未来創造組織に御声掛け頂き、
この4月6日の「白の日」に、
其の「学園構想」の第一歩目を踏む事が出来そうだ。
「イルカの学校」と言う外枠の中で、
「学校内学園」的な位置付けで・・・


そんな「ILCA」で撲がひらめいた「王冠」は
まさに「イルカの王冠」・・・


常に「学(まなび)」在りきの、
「ILCAの創造」に対しての敬意も込めて。


「学(まなび)」って漢字の部首でも在る、
上の「ツ+ワ」な「冠」には、実は正式名称が存在し無いと言う。


「宇」の「うかんむり」や「軍」の「わかんむり」は在っても、
「学(まなび)」の上の「かんむり」には名前が無いと言う。


それは「新字体」と言って、元の形(旧字体)から変化したモノで、
元の形(旧字体)で在る「學」の上の画数の多い部分を簡略化して、
今の「ツ」にしたモノだからだそうな・・・


そこで「新設部首」と言うのが任意的に創られ、
「ツ」が故に「つかんむり」と呼ばれる事も在ると言う。


なるほど・・・


ならば「学(まなび)」の上の次世代的な呼び方をと考え、
そこで「いるかんむり」を想い付いたので在る。


上の「ヽ」3つを「3匹のイルカ」と捉え、
「イルカが3匹乗った冠」で「いるかんむり」と。


そして、其の冠を「子供」が被り、
「いるかんむり」に「子供」と描いて「学(まなび)」と化すと。


「忘れるべからずな大切な何かを『子供達から学べ』」
「大人に成ってもテメエの柔軟な『子供心から学べ』」
そこに「磨冬園長」の「学(まなび)」への想いが、
濃縮無還元に集約される。


そんな「学(まなび)」の「冠」が、
「イルカンムリ」と言う「イルカが3匹乗った王冠」なので在る。


それが、上園磨冬が丸42年掛けて出した、
「学(まなび)」へのアンサーなので在る。


最終的には立体物も創りますよ!この「イルカンムリ」!


まずは紙の平面バージョンで創って観ようと想う。
子供達が「学(まなび)」と交差する事が楽しいんだと、
そう心の底から想って貰えるような、
そんな授業も、子供達の為に行なって行きたいとも想う。
そしてそれを観て、
同時に、大人達にも、それに気付いて貰える様な授業に。



例えば、独つのイメージは、
「親と子の共宴」的な授業としての位置付け。


従来の「共演」の如く「一緒に何かをヤル」と言うのでも、
「共に競う」のでも無く、
「共に宴の如く楽しむ」と言うスタイルを核にしたい・・・


イイ意味での其の場のライヴ的な触発や偶発的な遊びと結果。
「子供達から大人が学ぶ」・・・
でも其の行為のアンダーゼロの位置では、
やはり大人達が子供の御手本で在り、先生で在る必要が在ると、
撲は想う・・・


あ、そうだ、
この際だから、別便で描こうとしてた事を、下記に描いて置こう。
撲が0歳の、生まれたトキからモノ創りをして居ると言う話を・・・
それは総て母が仕組んだ「一生涯の計画」の、
継承と継続なんだと言う話を・・・



生まれて間も無い撲に対し、
「この子は間違いなく人前に出て何かをする子になる。
だから作品として残して置こう」と母は直感で想い、
生まれた瞬間の手型足型を捕り、
其の日から母が上園磨冬を「被写体」として写真を撮り続け、
洋服は母の手編みで「ニット作品」として創られ、
そして磨冬が「モデル」としてそれを着て、
それを「foto作品」として母が撮り、
其の洋服が毛糸屋さんのディスプレイに「展示」されると言う、
一連の「ライヴアート」を6歳まで2人で続けた事が、
撲の総てのショービズとしてのアートの発端。


そして其の活動は「前期終了」として一端そこで小休止するも、
33年後に「後期」を動かそうと約束し、
(※6歳のトキは磨冬が大人に成ったらと言う言い回しだったが、
いつしかそれが磨冬39才、母・清子69才のトキに、
「地下にオレンジの部屋を子宮として創り、
そこから母に次なる人生をギフトする」と言う約束へと成り、)


2009年2月27日の母の69回目の誕生日に、
銀座の地下のギャラリーにて、
其の為だけに個展を開き、
其の瞬間(しゅんかん)から「後期」の作品創りを開始させ、
現在も其の親子アートニットユニット「マフユキヨコ」は、
継続中で在る。

【ニットユニット「マフユキヨコ」】
其の存在は、あくまでも、
「バンド」を組むのと同じ位置付けと感覚です。
上園磨冬がヴォーカルで、
母、清子がギターと言うイメージ。
磨冬色が前面に出ては来るが、
あくまでもソロのトキとは違う「音」を鳴らす。


※「マフユキヨコ」に限らず、
上園磨冬が変名で多種のアートユニットを組んで活動するのは、
総て「バンド」としての位置付けと感覚です。
楽器を持たずして「歪音(わいおん)」を鳴らす。
其の作品に、ラウドノイジーなサウンドを封じ込めて。



(※余談だが、母が66才のトキ、
腕が上手く挙がらず、手先も使えなく成り、
病院でリハビリを受けるも治る気配無しだったトキ、
磨冬が一言「あと3年したら創めるんだから、
動かないとかは無しで。
ずっと暖めて来た夢の計画を壊さない為にも、
編めなくてもイイから今日から、毛糸と編み棒を毎日持って、
編めるように準備しておくように」と母に言った事を発端に、
母は上手く使えない手で、それを実現させようと手を動かし、
いつしか完全に手が治ると言った現実を手に入れた。


それこそが上園磨冬が言う「アートは魔法なんだ」と言う事だ。


医者も無理と言った事が可能と成るのは、
親子の絆と、それ以上にアーティストとしての関係が創る、
ずっと想い描き実現しようとした「未来」が在ったからだと、
上園磨冬は言う。)



親愛なる母へ、
78回目の誕生日おめでとう。

この「イルカンムリ」を貴女へ捧ぐ・・・



実は、この「イルカンムリ」
2月20日(水曜日)の夜中に、ひょんな事から一瞬で想い付き、
頭の中で完全にスケッチを描き揚げ、
そして翌週の2月27日(水曜日)、
母の78回目の誕生日の夜に、
一瞬で描き揚げたモノなので在る。


コレは、あくまでもラフスケッチだ。
既に次の清め描きや応用編も想い付いて居る。


今後、どんなカタチで世に姿を現わすのか、
楽しみにして居て欲しい・・・


躾も含め、
大切な事やモノ創りの本質、
そして「学習の重要さ」は全部母から教わった。
ほんとスパルタに勉強させられたよ。
鬼軍曹顔負けの勢いで。
100点だけが3ケタだ。
99点でも10点でも同じ2ケタだ。
100点だけが3ケタだ。
撲は「3ケタ」だけを目指した。


(今の「3の呪縛」的な「3好き」はココから来てるのかも知れ無い。

まあ「3」がトラウマに成らなくて良かった。)


ほんとスパルタに勉強させられた。


でもそれは、
母が子供の頃、
貧乏だったから勉強がしたくても出来なかった為、
「『学(がく)』が無いから」とヒトに言われ、
お母さんみたいに馬鹿にされないように」と、
母が撲に与えてくれた「大切な時間」だったんだ。


あのトキは気付かなかったけど、
後で知って口答えばっかしてた事を後悔した。
そして今は、あのスパルタに感謝して居る。


だから、78回目の誕生日、
撲から感謝の意を込めて、
母に、この冠を贈ったんだ。


有難う・・・コレからも宜しく・・・



「後期」を創めてから9年目の今年・・・
今年こそ、一気に世界に出るからな。
「マフユキヨコ」としても、活動を本格的に動かすからな。


アレだけ喧嘩した母とも、
今じゃ大親友・・・


大人に成るってイイよ。
コレだけは子供達には解から無いだろう。


だから大人が観せて聴かせてヤルんだよ。


大人に成ると色んな事がセンチメンタルに心響くって・・・
後で気付いても遅いんだって事を・・・



でも、
涙腺が弱くなるって事は内緒にした方がイイ(笑




撲は、本当に世の中に新しい時代が来るのは、
2014年1月13日だと想ってる。
だから其の日を目指し、生きて居る。
ずっと目指して来た2012年12月12日の延長戦が、
辿り着こうとしてるのは、
2014年1月13日なんだ。


そして其の日が無事に迎えられたら、
其の翌月の79回目の母の誕生日に、
又個展を開いて、
母に、この「イルカンムリ」の立体版を授与し、
被せてやろうと想う・・・
いや想った、今決めた!



そんな「ライヴ装置としてのアート」を、
コレからも一生涯続けて行くと、
改めて、
瞬間(いま)、この瞬間(しゅんかん)の瞬間(トキ)、
撲はココに誓う・・・




御清聴有難う御座いました・・・・・・







2013年、3の月開幕日、 303こと「上園磨冬 from DOL」