第74回 田中英道×茂木誠『日本とユダヤの古代史&世界史』 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

日本の古代に「ユダヤ人」の影響があったことは、数々の「証拠」からも瞭らかだ。

有名なのは、イスラエルの国旗に使用されている「ダビデの星」が伊勢神宮にも印されていることや、京都の「祇園祭」とユダヤの「シオン祭」に共通点が多いことなど、だろう。

こういったことから、日本人とユダヤ人の祖先は共通であるという「日猶(ユ)同祖論」を説く者も少なくない。

さらには、近現代の世界を裏側から支配するグローバリストが主にユダヤ系であることから、日本という国は古代からすでにユダヤ人(グローバリスト)の支配下にあり、日本人としての主体性は始めから無い、したがって日本に未来はないのだよ~、という悲観的な見解(仮にこれを「被支配論」と呼ぶ)を抱いている人たちも、また、少なくない。

そのどちらも、日本人としてのアンデンティティーを揺るがせかねない大問題だ。

しかし、ユダヤ人による深い影響は揺ぎない事実であるとした上で、「同祖論」とも「被支配論」とも異なる真相に迫っているのが、田中英道×茂木誠 著


『日本とユダヤの古代史&世界史』

である!!

副題に「- 縄文・神話から続く日本建国の真実 -」とある。



これ、ずーっと読みたかったんだよね

今年の6月に発刊され、7月には購入していた。

茂木誠は「ニュースのなぜ?」「地政学」シリースをふくめて何冊か読んでいるし、YouTubeのチャンネルでも馴染みがあった。本当は夏季休暇の帰省の時季に、ゆっくりと楽しみながら読みたかったのだが、そのころは『コールダー・ウォー』(第72回で紹介)を読んでいたし、しかも帰省中はろくに読書もできなかった。

そのあとも流れで、渡辺惣樹の『ネオコンの残党』(第73回で紹介)を読んだり、三十年以上前に読んでその際にはほとんど感銘を受けなかったジョージ・ウォーエルの「動物農場」をなぜかこの時期に再読したりと、なかなかたどり着けずにいたのである。

結果、読了が10月になってしまった。(おれが読み終わらないうちに、Amazonで「ベストセラー」になっていた)

結論から言うと、日本人として日本の歴史と未来を悲観するには及ばない。むしろ、日本と日本人の美点は誇るべきものである、という見解が根幹にあり、その上で、奇蹟ともいえる日本人とユダヤ人との関係性について、まさに多角的・多重的に紐解いている。そして、そのひとつひとつの説は、ほとんど証明されたといってもよいほどの合理性・信憑性・蓋然性に満ちている。


ただ・・・、

ブログの冒頭でも述べた、伊勢神宮や祇園祭の例だけではなく、

例えば、皇族の三種の神器(鏡・剣・勾玉)「モーセの石版・アロンの杖・マナの壷」が似ていること。

例えば、日本の「神輿」とユダヤの「契約の箱(アーク)」との類似点。

例えば、皇室の紋章「菊の御紋」「ヘロデ門の紋章」との相似。

例えば、「わっしょい」のように、あたりまえのように使われながら、語源がよくわからない日本語が、実はヘブライ語を起源としてるのではないかと思われること。(ヘブライ語で「神が来た」という意味らしい)

・・・など、など。

これらの暗合・符合の多くは、本書によって指摘されるまでもなく、すでにかなり汎く知れていることであり、これらを「同祖論」「被支配論」の根拠にしている者も少なくない。しかし本書が悲観的な「同祖論」(もしくは「被支配論」)とは一線を画し、「日ユ同化論」の立場をとり得ているのは、その歴史認識の広さと深さである。(そのような意味で、田中英道&茂木誠は最強の組合せだ)


たしかに、表面的な類似性・相似性を「点」として捉えれば、「同祖論」が導き出されても不思議ではないが、縄文時代からの歴史的事象を虚心坦懐に観察し、「線」や「面」で時系列的・多角的に検証すると、日本はハード面・ソフト面とも、ユダヤ人が日本人に「同化」していった痕跡に満ち溢れているのである。

ここでいう「観察」については、フランス・イタリア美術史の権威・田中英道のいう「フォルモロジー(Formologie)」が有効な武器になっている。他の凡百の学者が(解釈ができないゆえに)無視している「ユダヤ人埴輪」の「ペイオト」にも形状の点から着目し、それまでの日本文化にはなかった「みずら」の出現についても指摘している。
(ペイオトというのはモミアゲのこと。ペイオトを切らない・剃らないのがユダヤ教徒の特徴のひとつとされている)

また、歴史を検証するにしても、遺跡や神社・仏閣の類は当然のこと、『古事記』『日本書紀』といった神話の世界、宗教面では、神道、『旧約聖書』、ユダヤ教のみならず、キリスト教の教義についてまで視野に入れている。(先まわりして言うと、日本にたどり着いたユダヤ人が、大陸を渡る期間にキリスト教に改宗している可能性にまで言及している)

数千年単位の気候変動や火山活動、当時の遺跡までも考慮し、歴史の教科書では日本最初の国とされている大和国(西国)には当時あまり人が住んでいなかったであろうとも結論づけている。


さらに、最近のDNA研究結果を基に茂木誠は、

 

「日本人の最も古い祖先は縄文人だということです。したがって、『日本人の祖先はユダヤ人だ』という意味での『同祖論』は間違いでしょう。」(P4「まえがき」より)

 

と、断っている。

 

茂木:学校で教える歴史の最初の部分では、(中略)神話については完全に黙殺します。神話は古代人の空想、妄想であり、「非科学的」だから教える必要がない、という扱いです。
 ところが、田中先生がお話しする神話の話はもう全部がリアル。神さまもすべて実在し、実際にあった出来事であるということが大前提ですよね。
田中:『古事記』や『日本書紀』には神さまの名前が沢山出てきますが、ほぼ実在した人物であると私は考えています。もちろん伝承されたものが文章になったわけですから、詩的な表現や誇張した言い回しなどもあるでしょうが、大元の話は真実の出来事であると思われます。(中略)例えば「高天原」というのは、「天界」だと思われていますが、私は実際に存在した場所であると考えています。
(P58-59)

 

一方、ユダヤ人(ユダヤ教徒)は古来より受難の民族であり、歴史上、複数回に亘って追放・離散・流浪を余儀なくされている。

田中英道は、ディアスポラとなったユダヤ人が日本に渡来した時期には「5波」あるとし、その第1波、「出エジプト」(BC13世紀)を端にする一派が人類史上最初に日本にたどり着き、縄文時代の日本に影響を与え、神話『古事記』の世界に登場する、と説く。

ここで『古事記』『日本書紀』の内容に深入りする紙幅はないが、端的にいえば

・須佐之男命(スサノオノミコト)
・長髄彦(ナガスネヒコ)


といった神が、ユダヤ人だったに違いないとしている。

主な理由としては、他の神さまとは「キャラ」が違う。行動が違う。温厚な日本人(神)とは異なり、バイオレントすぎるというものだ。

茂木:実は私、日本神話の中のスサノオという存在に、もの凄く異様な感じを受けています。暴力性、衝動性で突出していて、和を尊ぶ他の神々とはまったく違う。乱暴狼藉の末に、高天原の神々から干されて葦原中国(あしはらのなかつくに)(日本列島)へ追放されてしまいます。「スサノオはアマテラスの弟」という設定にはなっていますが、もっと何か違う人物なのではないかと……ずっと感じていました。
田中:私は『荒ぶる神、スサノオ』(勉誠出版/2021年)という本を書きました。そこで彼はユダヤ人だということを証明しているので、詳細はそちらもご覧頂きたいと思います(後略)
(P78)

 

「ナガスネヒコ」に至っては、日本人にくらべて格段に脚が長いという身体的特徴が名前の由来になっているほどだ。

そもそも、『古事記』の編纂者である稗田阿礼のことも、田中英道は「7世紀に生まれた人で、おそらくは渡来系の秦氏、つまりユダヤ系だと」(P84)思っている。

 

神話の世界以外にも、有名どころとしては蘇我氏(稲目、馬子、蝦夷、入鹿)もユダヤ系と考えられている。


ここまで、おれがまとめたブログの文章だけを読むと、「え? たったそれだけの根拠で日本にユダヤ人が来たと考えるの?」と思うかもしれないが、ここで紹介できるのは、本書で解説しているうちのごく一部。神話の記述に依拠しているだけではなく、実際の縄文や古代の遺跡にもユダヤ文化の影響が見出せるのだ。先述した「ユダヤ人埴輪」もそのひとつであるし、今なお残る数多くの古墳群もそうである。

あるいは、渡来したのはユダヤ人でとは限らないのではないか? ギリシャ系、ペルシャ系、シュメール系としてもよいのではないか、という疑問にたいしては、
 

田中:なぜ私が「彼らはユダヤ人である」と断言するかというと、当時の彼らはディアスポラ(離散)で国を絶たれているからです(P99)

 

と回答している。


因みに本書では「5つの波」を「図表」としてまとめているが、それを基に、文章として引用する。
 

  ユダヤ人渡来、5つの波

第1波 紀元前13世紀   出エジプト/縄文時代・日高見国・スサノオ

第2波 紀元前722年以降 アッシリア捕囚と失われた10支族/日本建国

第3波 紀元前3~2世紀  秦の始皇帝・徐福と3千人/秦氏各地に渡来

第4波 3~4世紀     弓月国から秦氏2万人/応神天皇が受入れ

第5波 431年以降    エフェソス公会議・ネストリウス派/蘇我氏

(P47)

 

先ほど、『古事記』『日本書紀』の内容に深入りする紙幅はないと言ったが、「神さま」も「地名」も実在のものとし、そこにユダヤ人が介入していると見なした際、西日本で反乱を起こした「国津神(出雲系)」を、東日本の「天津神(高天原系)」が平定していくという建国の歴史のダイナミズムが、リアルに、肌感覚として感じられる。

「日高見国」も、「高天原」も、「国生み」も、「天孫降臨」も、「国譲り」も、これまでとは別の姿として眼のまえに立ち現れてくるようだ。

こういった、第1章から第2章にかけての『記・紀』の新(!)解釈を読み、無性に鹿島神宮に行きたくなった! 千葉県の芝山古墳にも。淡路島の近くの沼島(ぬしま)にも。


秦の始皇帝がユダヤ人だったことについては、司馬遷の『史記』に記された「西戎の覇者」という表現、同じく始皇帝の容貌の描写、中央集権国家の実現という東アジアに於いては空前にして特異な実績、さらには始皇帝の墓の近くで発見された始皇帝の息子のDNAからAI技術によって復元された顔の特徴などから間違いないとされている。

 

秦の始皇帝の息子と思われる人物の顔面復元図/@西北大学(中国陝西省西安市)



その始皇帝に仕えていた呪術医の「徐福(個人名ではなく称号なので複数存在)」(これもユダヤ系)が数千人の同志とともに渡来。その子孫が秦(はた)氏である。


日本ではユダヤ系が政(まつりごと)の「主役」に躍り出ることはなかったが、中国では「王(皇帝)」となってしまった。
 

茂木:(中略)その圧倒的な統率力とは裏腹に、秦の始皇帝の時代は短命に終わりました。秦帝国は、統一後わずか15年間ほどで瓦解しました。カリスマ始皇帝の死と共に大反乱が発生し、群雄割拠の中から漢の劉邦が登場します。やはり、秦のやり方には、相当の無理があったことが分かります。
田中:ユダヤ人自身が王になったケースは稀です。始皇帝の失敗は教訓として彼らの間に、それこそロスチャイルド家などにも残っているかもしれませんね。
《王になってはならぬ、王を補佐する立場であれ》と。
(P141-142)

 

たしかに、蘇我(「我、蘇り」の意)氏にしても、天皇に取って替わろうととはしなかったが、追放されたネストリウス派の一族としてキリスト教の布教に努め、聖徳太子を「日本のキリスト」に仕立てようと画策した。しかし、天皇の皇太子であり、「心が神道」である聖徳太子は蘇我氏の姦計を見抜いてそれを拒否。コントロールの効かなくなった聖徳太子を、662年、蘇我氏はその后とともに暗殺した・・・。

 

田中:(聖徳太子の叔父にあたる崇峻天皇と穴穂部皇子を殺害している)蘇我馬子は、天皇も皇太子も殺している日本史上最大級のテロリストといっていいでしょう。(P196)

 

まさにバイオレンス全開の荒くれぶりだが、しかしこれは渡来したユダヤ人全体から見れば、極めて例外的な事例と言える。

大多数のユダヤ人は、やがて日本(人)に同化していく。

 

まず、日本という国が(古来より)ユダヤ人を迫害しなかったこと。
温暖な気候で自然に恵まれており、砂漠の民からすると天国のような環境であったこと。
ユダヤ人が持ちこんだ技術や知識を尊び、面白がって採用する。自由も、名前も与え、能力に応じて要職に登用し、土地まで与える、という日本人の対応。

追放されたディアスポラのユダヤ人にとって、これがどれだけありがたかったことだろう。

やがて日本人との混血の子も誕生し、「3代もすると、完全に日本人化してしまいます。(P45)

 

しかるに、自然を神とする日本人への「同化」は、即ち棄教するということであり、敬虔なユダヤ教徒にとっては神(ヤハウェ)への重大な裏切りでもあるのだ。

 

だが、その後ろめたさを凌駕する魅力と安寧が(少なくとも当時の)日本にはあったわけだ。


別の言い方をすると、和を尊ぶ温厚な日本人が「一神教の荒ぶる神を崇める民」を、いい意味で「骨抜き」にしてしまったのである。
優れた能力は採用し、利用し、取りこみながら。

これこそが、日本の「強み」である。

つまりは、芥川龍之介「神神の微笑」でいうところの「造り変える力」が発動されたわけである。

 

オルガンティノは口を挟んだ。
「今日などは侍が二三人、一度に御教に帰依しましたよ」
「それは何人でも帰依するでしょう。唯帰依したと云う事だけならば、この国の土人は大部分悉達多(シタアルタ)の教えに帰依しています。しかし我我の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです」
 老人は薔薇の花を投げた。


(中略)
 

「事によると泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我我は木木の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明りにもいます。何処にでも、又何時でもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。(後略)」(「神神の微笑」より)

 

 

「造り変える力」は、「捨て去る力」としても発揮される。

 

興味を以っていったん受け入れられたとしても、日本の風土・文化に馴染まないものはやがて廃れてしまい、その知恵や技術が現代まで受け継がれることはない。
 

田中:仁徳天皇陵にいたっては、その規模において世界一巨大なお墓です。それまでの日本人が自らそんなものをつくると思いますか? 縄文時代の日本人は長い間、竪穴式住居でした。元来、木の文化である日本に石の文化を持ち込んだのは、渡来人たち、つまり秦氏です。彼らが土木と建築の技術を日本に持ってきて、自分たちの技術を誇った証でしょう。(P163)

 

田中:7世紀に入ると、日本は仏教色がどんどん強くなっていきますね。法隆寺ができ、それに続いて立派な仏教的建造物がどんどんつくられると、とたんに古墳は消えるのです。
 それはもう、見事に、一気に消えました。あんなものは自分たちに合わないということに気づいたのです。誰も古墳の文化を受け継いでいこうとはしませんでした。あれだけ立派なお墓であれば、埋葬されている人の子孫が代々そこを利用していくべきなのですが、一切していない。
(P171)

 

(田中英道は同時に、古墳遺跡が放置あるいは破壊されている現状を憂い、古墳時代の文化を再生すべきとも説いている)


この「造り変える力」については、本書でも繰り返し強調されているし、馬渕睦夫もその著書などで、“やまとごころ”の真髄として力説している。

ユダヤ人は、日本人によって造り変えられるというかたちで、日本に同化したのである。


なお本書では、現代のすべてのユダヤ人がいわゆる悪辣な「グローバリスト」ではないということを瞭らかにするため、流浪するユダヤ人を、

 

「アシュケナージ」(西欧→東欧→ロシアへと移動:白人系)

「スファラディ」(イベリア半島→地中海沿岸)

「オリエント・ユダヤ」(エジプト→イラク・イラン・中央アジア)

「ファラシャ」(東アフリカ・エチオピア)

 

の4つのグループに分けている。

(ロスチャイルドはアシュケナージではなく、スファラディであるという説が有力らしい)


ただしこの分類は、中世以降それぞれの地域に於ける迫害・追放の結果であり、古代の日本に渡来したのは、そういった4つのグループに分派する遥か以前に、東方を目指したユダヤ人の一派である。

 

 

 

 

※Amazonの広告画像も貼りつけてみた。

 

 

「神神の微笑」の他、「さまよえる猶太人」なども所収。