追悼 ~ 森村誠一 永遠のストーリーテラーへ ~ | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

作家の森村誠一氏が7月24日に逝去した。
享年90歳。

幼少期、それなりに読書好きだったおれは、小学校に入ると「外遊び」が大好きな少年になった。
親、とくに母親からは「小さいころはあれほど本好きだったのに、最近は全然本を読まなくなった(学校の勉強もしない)」と嘆かれていた。

小学校の高学年から中学生にかけては、活字ではなくマンガに没頭した。併せて中学生になると身体を鍛える喜びにも目覚め、筋トレや格闘技、自転車での遠出に熱中していた。(おれは、自然が豊かすぎるほど豊かな地方の街で生まれ育った)

そんなおれを、まさに「小説の魅力」によってふたたび読書(活字)好き少年に引きもどしたのが、他ならぬ森村誠一だった。高校に入学したばかりのころである。

当時、格闘技の稽古で足首を故障し、ちょっと暇になった。そのとき、「時間つぶし」のつもりで書店で購入したのが『新幹線殺人事件』(角川文庫)だった。

すでに森村誠一の名前は知っており、おれが中学生のころには『人間の証明』『野性の証明』が映画化され、ずいぶん派手に宣伝されていたが、そのころは映画にも原作にもほとんど関心はなかった。

流行に敏感な人たちからすると、「いまさら森村誠一かよ」と思われたかもしれないが、そんな表層的な流行に関係なく、読んだ途端に魅了された。

物語の緻密さ。油断も隙もない伏線の張り巡らせ方。奇想ともいえるトリック。非情な人間観察眼。徹底した社畜批判。虚無と絶望のなかにも希望があるというメッセージ。大人のエンターテイメントならではの濡れ場。(いまでも終盤の「絢爛たる痴態」という章題を憶えている)。

その世界が、映像ではなく、活字のみで成り立っていることが驚異だった。

おれがさほど芸能人(スター・アイドル)に夢中になることなくここまで生きてきたのは、この『新幹線殺人事件』の舞台が芸能界だったため・・・、かもしれない。

一発で病みつきになってしまったおれが次に購入したのは、『悪夢の設計者(デザイナー)』(カッパ・ノベルス)。
『新幹線・・・』は本格推理だったが、『悪夢・・・』には倒叙的な要素もあり、まさに「悪夢」のような面白さ。なにより最後の最後になってのどんでん返しには驚嘆した。

三冊目に、ようやく江戸川乱歩賞受賞作である『高層の死角』(講談社文庫)を手にとった。
(ここまでは、出版社が見事にバラバラ)


読めば読むほど、森村誠一がいかにすごい作家であるかを痛感した。また、推理小説史の観点からも、いかにエポックメイキングな存在であるかを文庫本巻末の解説を読むごとに知っていった。

足首の故障が癒えたあとも、いったん火のついた森村誠一熱は消えることなく、やがて部屋の本棚には角川文庫の青い背表紙がずらりと並んだ。そのなかには当然ながら『人間の証明』『野性の証明』もふくまれていた。

その大量の文庫本を見た母親が「お金はどうしたの? お小遣いだけじゃこんなに買えないでしょ?」と、問い詰めてきた。一瞬、万引きを疑ったのかもしれない。

おれはそのころ、「昼ごはんに購買でパンを買う」といって、弁当を作ってもらう代わりに毎日何百円かをもらっていた。
しかし始めからパンは買わず、そのお金を貯めて本代にしていた、と母親に白状した。
つまり、パンを買うというのは本代欲しさの策略だったのだ。

それを知った母親は半ば呆れ、本を買ったことを怒るよりも、昼食を抜いていたことを心配し、それ以降、問答無用で弁当を持たされることになった。その分「収入」は減ったが、そのころには、その時点で文庫本で手に入る森村誠一は、もうほとんど買い終わっていた。

いまとなっては懐かしい思い出だ。

エッセーや取材記事を通じて知った人間性も敬愛していた。

森村誠一は若いころから痩せていて、誰かと久し振りに顔を合わせるたびに「痩せましたね」と言われるが、じつは何年も体重は変わっていないと、エッセーのなかでぼやいていた。(あるいは、笑いをとろうとして書いたのかもしれない)

また、そのころ始まった「共通一次試験」の国語の問題(翌日の新聞掲載)を解いてみたところ、まったく不本意な点数に終わり、「曲がりなりにも日本語を職業にしている人間に解けないとはどういうことか!」と、試験の問題を批判していた。(森村誠一の主張は正論だと思うが、試験問題は特殊なのだ)

このような微笑ましいエピソードが思い出される一方で、あの衝撃的なノンフィクションのことも忘れられない。


『悪魔の飽食』によって、多くの日本人が731部隊の実態を知ったが、刊行後しばらくして、著作に掲載されている写真に明治時代に撮影された手術風景が混在していたことが判明した。

森村誠一はそれを認め、写真の入手の経緯についても釈明していた。結果的には確認不足ということになるのだろうが、けっして粗雑な入手経緯とは思えなかった。それなのに、猛烈なバッシングが発生した。

言うまでもなく、『悪魔の飽食』はある範疇のものたちにとって「不都合な真実」だったのだ。売れっ子作家にたいする嫉み、やっかみもあっただろう。

理不尽なバッシングが吹き荒れるなか、おれは終始一貫、森村誠一の味方だった。(田舎の高校生には何もできなかったが)

膨大な写真のなかのごく一部が誤りだっただけなのに、あたかも著作全体が虚偽であるかのような抗議と非難とバッシングを見て、おれはネット・SNSが登場する遥か以前に、「バッシング」というものの本質的な構造を目撃したような気がした。

だが、もし仮におれが森村誠一に関心を持っていなければ、一連のバッシングを醒めた眼で眺め、渦中にある小説家を憐れむだけで、そこから何も学びはしなかったと想われる。


その後、おれの読書傾向も多岐に亘っていき、二十歳をすぎるころには、森村誠一からいつのまにか遠ざかっていた。長編で言えば『異型の深夜』(1983年刊)あたりが、熱中して読んだ最後の作品だったように思う。書籍の大半は実家に残してきたため、現在の住居にある森村誠一の著作は、古本として買ったと思われる『螺旋状の垂訓』『流氷の夜会』など、ほんの二、三冊だ。

だが、森村誠一によって培われた「マインド」は、いまもおれのなかに脈々と息づいている。

森村誠一に関しては、物語だけではなく、その文章・文体にも強く惹かれた。
作品で使用されている語彙は、誇張ではなく、すべて憶えた。そうしたくなるほど、森村誠一の文章は「カッコよかった」のだ。

読んだときに意味がわかるというだけではなく、いざ自分でしゃべるときや文章を書くときにその言葉が出てくるか。そういう意識を以ってボキャブラリーを増やしていったが、「書くときにその言葉が出てくるか」という姿勢は、そのときから今現在も変わらない。

そのような意味で、読書だけではなく、文章を書くことが「好き」になったのも、もとはといえば森村誠一のお陰であると言える。感謝は尽きない。

ただ作品の影響で、高校・大学時代は将来サラリーマンになるのは絶対に嫌だと思っていたのに、現在、不本意にもサラリーマンとして口を糊しているのは、たぶんおれの意志を超えた「大きな流れ」によるものだろう。

しかし、少なくともサラリーマン気質(および「株式会社ニッポン」の社風)にどっぷり浸かることなく、意識は個人事業主で、かつ、このような「戦時下」に於いても「正気」と「上機嫌」を保っていられるのは、根底に森村誠一から学んだ教訓があるからだ。その「社畜」批判は、まさに株式会社ニッポン批判にも通じる。




森村誠一は、生まれ変わっても作家になるのではないかと想う。
ご冥福をお祈りする。 涙。

 

 

(森村誠一公式サイト)

 

 

おれ個人の森村誠一小説TOP10 (ただし、おれが熱中して読んでいた1983年刊行まで)

TOP1『異型の白昼』

 

TOP2『鍵のかかる棺』

 

TOP3『悪夢の設計者(デザイナー)』

 

TOP4『野性の証明』

 

TOP5『人間の証明』

 

TOP6『新幹線殺人事件』

 

TOP7『密閉山脈』

 

 

TOP8『魔少年』所収の「魔少年」(短編)

 

 

TOP9『精神分析殺人事件』(短編集)

 

TOP10『異常の太陽』所収の「七日間の休暇」

※救いようのない孤独、絶対の無理解。こんな残酷物語があるだろうか、と高校生のおれは悲嘆した。