JKなKM ~SDGsの怪 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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SDGs えす・でぃー・じー・ず

SUSTAINABLE
DENELOPMENT
GOOOOOOOALS


持続可能な開発目標。

JKなKM・・・

2015年9月25~27日、第70回こくれん・そーかいなるもので、「持続可能な開発サミット」なるものが開催され、17の持続可能な開発目標から成る「持続可能な開発のための2030年アジェンダ」なるものが採択された。

 

 

 

 

 

ここまでの表現で、おれが「SDGs」を嘲弄しているのがわかると思うが、嘲弄だけではなく、同時に警戒し、用心もしている。

個々の「目標」を額面通りに解釈すれば、一応もっともらしい内容なのだが、それなのにどうしてSDGsは胡散臭いのか?


今回のテーマは、(いままでもそうだったかもしれないが)すでに知っている方には「釈迦に説法」
しかし誰かに教えるというより、おれ自身のモヤモヤ感を言語化し、整理するために述べてみる。

さて、SDGsがいかがわしく思えるのは、臆面のカケラもない陳腐で優等生的宣言である以上に、端的に次のような欺瞞が窺えるからだ。


その1:現在のやり方を継続してもなんら問題がない事項について、あたかも問題があるかのように呈示している点。

伝統的、習慣的な方法でなにも問題がないのに、まるで、このままのやり方ではやがて破局を迎えるかのように、あえて不安を煽っているわけだ。
典型的なのが「目標13 気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を取る」

事実上枯渇の心配のない「化石燃料」や、問題にする必要のない「温暖化問題」を、(旧聞になるが)グレた子どもまで投入して、喫緊の課題であるかのように扇動している。その方向性で「クリーンエネルギー」だの「脱炭素」だのといったインチキ対策を奨励することになる。もちろん、ここには膨大な利権がからんでくるし、SDGs理念の外圧によって、こんなものにまともに取組んでしまっている企業はいずれ衰退の憂き目に遭うだろう。



その2:不安にかられたシープルたちに目標達成の努力をさせておきながら、Deep・Sに繰られた国レベルでは真逆の方向に持っていこうとしている点。

これは多くの目標が当てはまるのだが、その詐欺レベルの筆頭はなんといっても、「目標3 あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進する」だろう。

こんな「目標」を設定した奴等と、コロナ騒動を画策した奴等が同じ穴に棲息しているというのは、まさにお笑い草である。ムジナどもによる行動制限やマスクや惑沈接種で、どれだけの「健康」が損なわれたか。笑い種ではあるが、笑い事ではない。

加えて、「あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ(目標1)」などと言いながら、実際はどれだけ経済を破壊し、その煽りを喰らった人たちをどれだけ貧困に陥れたことだろう。いたずらに給付金・補助金をばら撒いても、奴等が創った「貧困」が解決されるはずもない。

さらに、「目標2 飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する」に至っては聞いて呆れ、臍で茶が沸騰する。

農業を破壊し、食糧難の方向へ導こうとしているのは誰なのか? 
栄養価の粗悪な遺伝子組換作物を農薬とセットで販売し、各国の伝統的な種子バンクを壊滅させ、アルミニウムを撒いて土壌を汚染し、日本に対してならば稲作の規模を縮小させ、まっとうな農業を「持続」させないようにしているのは、どこのどいつなのか、という話である。

挙句に、食糧難を演出しつつ、「昆虫食」なるものを推進しようとしているのだ。これも「栄養状態の改善」や「健康」とは真逆だろう。

大規模な「破壊活動」をしていながら、庶民には「食糧難回避」のための「持続的な」努力を強要しつづける。そして、いうまでもなく「破壊活動」も「努力の強要」も、一部の者にとっては金儲けのネタなのだ。これほどのマッチ・ポンプがあるだろうか。


その3:開発目標を隠れ蓑にして、実際は人類を不幸にする方策が奨励されている点。

本末転倒というか、少数派を守るために大多数を犠牲にするというか、掲げられた目標のイメージとは裏腹に、実際に推進しようとしている方策が愚かすぎる。

「目標5 ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエンパワーメントを図る」などがこの典型で、「平等」という美名のもと、実際は「変●性欲こそが正しい」といわんばかりに、まっとうな性差や「大人の異性を対象とした性愛」が否定されようとしている。


SDGsの額面通りの主旨としては、その場限りの短期的な目標ではなく、未来にむけて平和・平等・安定(もしくは成長)が持続するような目標設定をしましょう、ということなのだろうが、実際に「持続」するのは庶民の努力や艱難辛苦のほうであり、また言うまでもなく、SDGsとは、一部の者たちの懐に「持続的に」金が入ってくるためのアジェンダにすぎない。

SDGsの理念である「誰一人取り残さない」という言葉の真の意味は他でもない、

 

「誰一人取り逃さず奴隷化してやる!!」

 

という宣言なのだ。



ところで先週、アメリカのシリコンバレー銀行が破綻した。これはアメリカ史上2番目に大きな銀行破綻と言われている。
シリコンバレー銀行は、いわゆる「ESG投資」を推進してきたことでも知られている。

ESG(イーエスジー)とは、これまた「環境(Environment)」「社会(Social)」「企業統治(Governance)」の頭文字だ。

これらの単語からも判るように、ESGはSDGsと密接に結びついており、ESGは、SDGs実現の一端を担っていることになる。
つまり、ESG投資とは、ESG(とSDGs)に配慮した経営を行っている企業に投資することで、シリコンバレー銀行は、こういった投資家たちを支援してきた。

そのシリコンバレー銀行が破綻したのだ。(そのあとも、中規模銀行の破綻の連鎖がつづいている)

破綻については複数の原因・背景があるだろうが、ひとつには、SDGsへの懐疑がESG投資の減退につながった、と見ることもできるのではないだろうか。
あるいは、SDGsを(Deep・Sや株式会社アメリカの金融もろとも)消し去ろうとする大いなる「動き」の発現かもしれない。
(反対に、中小の銀行破綻連鎖はDeep・Sの“最後の悪あがき的”策謀なので大いに警戒すべし、という見解もある)


やや奥歯に物が挟まったような言い回しになってしまったが、たぶん、SDGsなるものは達成目標の2030年を待たずに消滅する。現在、SDGsの尻馬に乗って甘い汁を吸っている、あるいは吸おうとしている企業も、早晩衰退することになるだろう。

 




えす・でぃー・じー・ずの尻馬に乗りたいひとには、こんな駄学者の駄本がお奨め!

 

 

 


えす・でぃー・じー・ずに懐疑的な人にはこれ。

 

 

 

今回のブログの本文を書き終わってから、武田邦彦氏がどういう表現でSDGsを批判していただろうか、と読み返してみた。

武田邦彦著『「新型コロナ」「EV・脱炭素」「SDGs」の大ウソ』より

「『SDGs』は白人社会の覇権のための武器である」とした上で、
 

 ISO(国際標準化機構)の国際規格、スポーツのルール、電子機器の国際基準、リサイクル、生物資源の保全、温暖化、そして持続性社会の構築などは、いずれも「規格」や「環境」という仮面をかぶっていますが、本当の狙いは欧米社会の優位性を保とうという策謀の一環です。
 それらを守らせることで、欧米以外の国々の自由な経済活動をコントロールしようとしてきたのです。

 

(前略)SDGsに違和感を覚えるのは当然のことであり、そのことを論理的に考えるだけの力がなければアングロサクソンと戦うことはできない、ということは肝に銘じておきたいものです。

 

 

 

個人的には「進化論」の先生というイメージの池田清彦氏。

実は未読だが、Amazonの内容案内を読む限り、基本的な見解は同じだな。