もう「マスク」についてはほぼ思いの丈を述べたので、次はいよいよ「惑沈」についてかな・・・、と考えていたのだが、予定を変更して、ダメ押しで「マスク」について。
都心では6月としては「観測史上初2日連続猛暑日」となった先日の土日。
おれは、この2日間とも出かける用事があり、日中の街中を(短い時間だったが)歩く機会があったのだが、その炎天下、多くのひとが、ものの見事にマスク着用!
もう、なんていうか、もはや感想はひと言だな。
「ド根性」!!!
まえにも「感情移入」してみたように、頑としてマスクを外さないひとは、
「気温に関係なくウイルスは存在しているのだから、マスクを外すなんてもってのほか!」
と考えているのかもしれない。
たしかに、その「論理」に基づけば、暑いからといってマスクを外して良い道理にはならない。
だが、そういうひとたちに言いたい。
言ってあげたい。
そもそもの、根本的で、決定的なひと言を。
「感染防止対策が必要なほどのコロナ型ウイルスは、少なくとも現時点の日本には存在しない!」と。
いや、もしかしたら、百歩譲って、機能獲得(gain of function)実験によってバイオ兵器化されたウイルスが国内のどこかの施設に保管されている可能性はあるよ。
でも、それは、炎天下でマスクを着用して歩いているひとが心配しているウイルスとは別のものでしょう?
炎天下でもマスクを着用して歩いているひとたちは、もっとふつうに、大気中に脅威的なウイルスが浮遊していたり、すれ違う人の鼻や口から常時ウイルスが飛散したりしていると考えているわけでしょう?
それならば、「そんなウイルス」は存在していない。
むしろ残念と思うかもしれないけど、「もはや」存在していないのです。
あるいは「もはや」ではなく、ずっと前から? 2年前から? あるいは始めから? 存在していなかったと考えることも可能なんだけど、どう厳しく見ても、「今」は存在していない。
だから、感染対策は不要なのだ。
そこですかさず、
「だって『感染者』はまだゼロにならないじゃないか!」
「毎日『新規感染者数』が発表されてるじゃないか!」
という反論が聞こえてきそうだ。
反論の根拠としてはそれしか無いだろう。
だが、そ・こ・か・ら、説明しなきゃダメなのだろうか?
かれらは、「陽性者=感染者ではないこと」や「PCR検査の欺瞞」についての認識すらないままに、ここまで来てしまったようだ。
「マスコミの信頼性」や「報道されている数字の信憑性」についての疑念もなく・・・。
あまりにもトホホなので説明は省く。
結論として「そんなウイルス」は、無い。
だから、マスク、アルコール消毒、三密回避、飲食店などのパーテーション、マスク会食などなどの「感染防止対策」は一切不要。
(ただし、他の感染症を防ぐため、文明人として最低限の衛生観念は必要)
屋外なら、とか、喋らなければ、とか、○m以上離れていれば、とかの条件も不要。
なぜなら「そんなウイルス」そのものが無いのだから。
マスクをしていない人が感染させることはない。
どう思われようと、ノーマスクの人が「その点で」実害を及ぼすことはない。
暑さを理由にマスクを外す。
本来そこに科学的整合性はないかもしれないが、少なくとも、それを「きっかけ」「口実」にすべきだったのではないか。
ここで外さなければ、逆に一生外せない。
つまりは、「文明人」からの脱落だ。
もはや「必読書」と言ってもよい。大橋眞教授の
『PCRは、RNAウイルスの検査に使ってはならない』。
PCR検査の不適正さと併せて、「SARS-CoV-2」の存在自体にも疑義を呈している。
ウイルスがあっという間に世界中に広まったという証拠は見当たらないが、PCR検査があっという間に世界中に広まったことは事実である。ウイルスは肉眼で見ることができないために、誰も本当のことはわからない。
しかし、あっという間に世界に広がるには、ウイルスの複製がとてつもない回数繰り返される必要がある。RNAウイルスは複製のたびに、一定の割合でミスコピー出る。ミスコピーが出れば、遺伝子変異という結果になり、PCR検査で検出できなくなる。しかし、現実的にはPCR検査で何かの遺伝子を、世界中で検出し続けているのだ。これは、RNAウイルスが、あっという間に世界中に広まったという説とは矛盾していることになる。