第15回 和田秀樹『テレビの大罪』 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

和田秀樹 著


『テレビの大罪』!!!!




書店の棚に置かれている題名を見たときには、
てっきり「軽い読み物」かと思った。


だって、テレビ批判なんて「いまさら」だし、
テレビ(の内容)を題材にして、そうそう深い話も出ないだろう、
と考えたから。


でも、ちょっと気になったので、
パラパラとページをめくり、
立ち読みで最初の「章」の出だしを読んでいるうちに、
はたと感じるところがあって、
買ってゆっくり読もうと思い直した。

ほんの半ページを読んだだけで、
題名の「大罪」がけっして大げさではないことを知ったからだ。


テレビというのは、他のメディアに較べて
圧倒的な「影響力」を持つ。

それは誰しも想像できるように

「映像」の力によるところが大きい。


これは、たんに「視覚」から得る情報量は大きい、
という意味に留まらず、その道のプロによって、
よりインパクトがあるように編集・加工(ときには捏造)された
「映像」だから、その影響力は計り知れない。

そういう特異な媒体を使って、
日々「ウソ」が垂れ流しになっている現状を
筆者の和田秀樹は憤りとともに告発している。

そして、その無責任な「ウソ」によって、
現実に「健康」や「人命」が損なわれている、と。
(抽象的な意味じゃなくて実際に、ね)

最初に取り上げている例が、
「ウエスト」のウソ(偽装)だ。

多くの女性タレント・モデルの
「公称」のウエストサイズは60センチ未満。
58センチというのが主流である。

身長が150でも、170でも、
ウエストサイズは58。

実際、身長169センチの人気女優(兼モデル?)の
ウエストサイズの実測値は70センチ以上だったという。


それでも(モデルとしても通用するほど)充分に細いのだ。


しかし、テレビでは、
あたかも、ウエストサイズが60センチ未満でなければ
女性として美しくないという「ウソ」を
これでもかと(さりげなく)放送しつづける。

あるいは、実際は70センチあってもおかしくないんだよ、
という事実を隠蔽しつづける。

で、この「ウソ」を真に受けた
思春期(育ち盛り)の少女はどういう行動に出るか?


カラダをつくっていく大切な年代だということなど度外視し、
十代半ばではむしろぽっちゃりした体型が自然だという真実も無視し、
すでに痩せすぎだという身近な人間の忠告にも耳を貸さず、
もちろん親のいさめなど眼中になく、

「美しく」あるために、
「醜く」ならないために、
身長がいくつあろうが、
ひたすら(非現実的な)ウエスト58センチをめざして、

深刻な「拒食症」になる。


この「栄養失調」が、
将来にどれほどの悪影響をもたらすか・・・。


「ウエスト」の虚偽問題のほかに
一見「正義」を振りかざしている報道が、
結果として、
医療の崩壊を招き、
日本人の学力低下の要因となり、
自殺者を増やし、
地方を住みにくくしていると、
筆者は説く。


これらは、万にひとつのレアケースを
あたかも「標準」のように放送する
テレビの構造的な姿勢にも由来するのだ。


ありふれたものを放送しても「絵」にならないから、
テレビで放送するのは、
基本的にいつでも「稀」なケースなのだ。

しかし、ここにカラクリというか、ペテンがあって、
テレビは、レアケースをレアケースだと断ることをしない。

ここが悪質だ。

在宅介護の問題にしても、
その人が金銭的にずば抜けて裕福であるからこそ成立した、
全体から見れば万にひとつの「美談」を
あたかも標準的な姿であるかのように放送し、
そうしない(できない)人を(暗に)糾弾する。


たしかに・・・、

世の人たちがすべて賢くなって、

「テレビなんてウソっぱちばっかり」
「だからすべてを真に受けちゃダメ」
「バカ言ってらあ、って笑ってみるべし」

という判断がつくなら問題ないのだけど、
実際はそうじゃない。

仮に、介護している本人が、
「テレビではああ言ってるけど、あれは超のつくレアケース」
「在宅介護は自分の家庭環境では絶対無理。施設に入れるしかない」
と、正しく判断していたとしても、

テレビの在宅介護こそ正しいという「美談」を真に受けた周囲の人間が、
その人を「ひとでなし」と非難するという構造になる。

罪つくりだ。


・・・・・・。



会社帰りの電車に、
おれのあとから、ベビーカーを押した若い母親が乗ってきた。

ベビーカーのなかには一歳くらいの男児。
電車に乗ってきたときは、わりとニコニコしていた。

おれのほうを見て、
おれがマフラーをはずしてたたんでる様子を
興味ぶかそうに見詰めてくる。

おれは少し奥まで進み、
その母親はベビーカーをドアのわきに止めたので、
距離的には数メートル離れて乗ることになった。

そのうち、駅に停まるごとに乗客が増え
その母子とおれの間にも、何人もの客が立つようになった。

しばらくすると、
人垣の向こうからその子の泣き声が聞こえはじめた。

最初はグズっているだけかと思ったが、
だんだん、その音が大きくなっていく。


高く、低く、
おそらく車内の隅々まで波のように響き渡る泣き声。

おれの前に座って寝ている男が、
そのボリュームにビクッ! と目覚めるほどの音量だ。

しかも、なかなか鎮まらない。
いつまでもいつまでも泣いている。

あまりの「泣きやまなさ」に、
乗客たちも、ちらちらとそちらのほうを一瞥しているのがわかった。

本を読んでいたおれも、
なにげなく母子のほうを窺うと・・・、

その母親は子どもが泣いているのをほぼ放置し、
iPodか何かの端末で、


テレビ観てるううううう~~!


そりゃないんじゃない?

そんなの観てないで、

抱きあげて、あやせよ。

  ↓



不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

テレビの大罪 (新潮新書)
  和田 秀樹 著