第3回 内田 樹/名越康文 『14歳の子を持つ親たちへ』 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

今回はのっけから「毒舌」モードでいく!!!

昨日(10/6)、
ふたりの日本人が「ノーベル化学賞」を受賞した。

で、例によってテレビによる、
通行人(たいていは勤め帰りのサラリーマン)への
感想インタビュー。


いわく、
「日本人として誇りに思う」。
「日本の将来にも希望がもてる」。
などなどなど・・・。


なんか、これについて「いちゃもん」をつけるのも
気が引けるのだが、敢えて言う。


ノーベル賞を受賞した「博士」たちの、
性格、人格、姿勢、など
さまざまだということを踏まえて言うが・・・、

たぶん、

このクラスの「頭脳」の持ち主からすると、

世の中の大多数の人間は、


バカばっかり!


なんだよ。
(ホントにたぶんだけど、たぶんホントだ)

どうして、こんなことも解らないのか。
どうして、この既成観念から脱却できないのか。
どうして、この概念が理解できないのか。
どうして、それを矮小化していまうのか。
どうして、そのレベルに貶めてしまうのか。
どうして、最初から試してみようともしないのか。
・・・・・・。

学ぶことの「歓喜」と同時に、
低レベルの同僚や、世間の有象無象に対しては、
つねにそういう、イライラと闘ってきたのではないかと
推測する。


だから。


その有象無象の発する、
「同じ日本人として誇りに思う」
という類いのコメントに対して、その受賞者は、


「たまたま同じ日本人だからって、
おまえらと一緒にすんじゃねぇ、
ぼけえええええええええ!!!!!」


「このゴミ脳野郎がああああ!!!」


と、思っているんじゃないかな~と想像すると、
可笑しくてたまらない、弩Sのおれでした。


・・・・・・。

さて。


(1)毎年必ず1名はノーベル賞を出さなくてはならない。
(2)全世界で生きているのが、おれ1人だけ。

という両方の条件を満たさない限り
今後、ノーベル賞を受賞する可能性が
絶対零度%であるおれが
先日電車内で読んでいたのは、


『14歳の子を持つ親たちへ』

/ 内田 樹 名越康文 共著 (新潮新書)


※ちなみに、14歳というのは、
 いろいろな人が「境界」「転換期」と認識している年齢。
 楳図かずおにも『14歳』という作品がある。
 歴史的に、14歳くらいを「成人」と見なす習慣も多い。
 

おれに「14歳の」「子ども」がいるわけではないのだが、
むしろ、14歳だった、
もしくは14歳前後の年齢だった
「自分」のことを思い出しながら読んでいた。

スタイルは両氏の「対談」なのだが、
読んで、ちょっと、
いろいろな言葉に救われたかな。


このあたりはおいおい「カミングアウト」的に
述べてしまうかもしれないが、
生来的に「哲学少年」だったおれは、
親や、教師や、同級生たちが、
あまりにもニュアンスを無視した
「クリアカット」(断定的)な言葉を口にして、
(あるいは作文に書いて)、
それで、何かを語ったつもりになって、
満足顔をしているのがどうしても不思議で、

でも、

そうしたことができない「自分」のほうが無能なんだと思って、
鬱々とした少年時代をすごしてきた。
(でも、だからといって鬱病にはならなかったが)

ま、でも、

この本を読んで、
おれの「悩み」は悩む価値のあったことだったのだと
ちょっと「援護」してもらえたような気になった。

鬱々と悩んで来ながらも、
おれにこれといった「トラウマ」がない理由もわかったし・・・。



実際、その年齢の子を持つ親にとっては、
子どもの「価値」を無駄に損なわないためにも、
読んで損はないと思う。


本書のなかで、
はたと膝を打った抱腹絶倒の話をひとつ。

それは「オバサン」についての件。

もちろん、「オバサン」とは、
たんに「年配の女性」という意味ではなく、
いわゆる、マナーが悪く、
傍若無人で、揶揄や顰蹙の対象となるような
「存在」のことだ。


一般に言われるのとは違って、
カノジョたちは、女を棄てて、
「ああいうふう」になってしまったのではないのだ、
という。


ちょっと長くなるけど引用する。

「名越 (前略)『あの人は女として上がっちゃってるから
オバチャンになった』みたいなことを言うじゃないですか。
でもそれは違うぞ、と。
(中略)彼女たちの情緒の使い方をみていると、
まるで思春期を迎えていない少女と一緒なんですよ。
小学校の五、六年生からせいぜい中二くらいまで。
(中略)その時から情緒が止まってしまったまま、
恋愛のようなものをし、結婚をし、子どもを産んで、
そして一人前の大人になったと勘違いしている人たちが
『オバサン』って言われている人たちじゃないかなと
思ったんです。」


まさに、そんな箇所を電車内で読んでいるとき!

おれの斜め横方向、数メートルのところには、
セーラー服を着た(たぶん)女子中学生の集団が!
まさに、14歳前後。
うら若き乙女たちが五、六人。

しかし、どういうわけか、
電車の「よく開く」ほうのドア付近にたむろしているため、
電車が停まるたびに、
降りる人と、乗る人の両方の邪魔になってる。

乗降客の流れに逆らって、どける気配なし。

誰も、注意はしないし、
中学生たちも、「邪魔」になっていることを
知ってか知らずか、動こうともしない。

同じたむろするなら、
「あまり開かない」ほうのドア付近で
談笑していればいいものを、
そういう「知恵」すら、
このガキどもには無いようなのだ。


情緒は、ここでストップ。
三十年後に「オバサン」と呼ばれている確率は
・・・高いな。

ま、電車でわざわざ通学しているということは、
「私立」だろ?
親は高い授業料払って通わせてるんだ。
結果、「いい高校」へ進んで、
「いい大学」へ入る可能性も高いが、


いまのままでは将来「オバサン」だから。


痛いね。




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14歳の子を持つ親たちへ (新潮新書)
  内田 樹/名越康文 著