私立異世界博物館付属図書室所属・異世界司書の菜花奈都姫さんは、今日も元気に出張中。

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【小説家になろう】にて連載中】

 

 

 31  命の交換

 

「ねえ、なっちゃん。一緒にお風呂入ろ」

 ティンクと一緒にお風呂へ入るのが習慣になってきた。

 私が石鹸の泡を体に付けていると、それを横からヒョイと取って自分のにして使う。

 体を洗い終わった後は、湯舟に浮かんで羽をパタパタさせる。

 上がってから、私の使っているタオルに体当たりして体を拭く。

 これで彼女の入浴は完了する。

 横着したくて私と一緒の入浴を好んでいる感がないでもないが、一つ一つの仕草が見ていて面白い。

 ついつい笑顔になってしまう。

 

 お風呂を済ませると、あとは寝るだけ。

 いつもは横になると瞬間寝なのに、今日は緊張のせいか簡単に寝られない。

 ティンクと二人、炬燵に入ってジタバタしていると、エポナさんがお菓子を持ってガレージからやって来た。

「まだ寝られませんでしょう。少しお話しません事。御茶、入れますわね」

 この道800年のベテランでも、こんな時は平常心でいられないんだ。

 

「歯磨きまで済んでいるから、食べるのはちょっと」

「何言ってんの、なっちゃんは黄麒麟様の加護受けてるんでしょ。だったら虫歯になんかならないよ。加護があれば状態異状は無効化されるのー」

 ティンクが素晴らしい発言をしたみたいだけど、それって、何。

 

「状態異状? 無効化?」

「ええ、奈都姫様は病気になりませんわよ」

「虫歯も病気ですか?」

「病気かどうかは疑問ですけど、確実に状態異状ですわ」

 やったー‼ これで私は一生涯、歯医者のキーンから解放された。 なんてね。

 無条件に安心していられるほど私は能天気ではない。

 

「加護もらっていても、疲れるのは同じなんですけど。疲労は状態異常じゃないんですか」

「そうですねー、健康な体の証明になりますかね。でも不思議ですわねー。私はあまり疲れを感じません」

「あたしも。元気、元気ー。疲れて倒れたりしないよ」

 加護とはそんなものだったのか。

 疲労感はいいとしても、私の場合、疲労回復はどうなってるの。

 状態異状でないにしても、たっぷり疲労感が体を支配してしまうという現象はいかがなものか。

 手抜きか‥‥。

 

「ひょっとしたら、奈都姫様の場合、疲れが残っているのは異常ではなくて、警告なのかもしれませんわね」

「警告ですか」

「はい、無理をして魔力のバランスが崩れてしまうというのは、まだ魔力に不慣れな奈都姫様にとっては大変な事ですから」

「なるほど、そんな事まで面倒みてくれるんですね。加護って」 

「よほどの事がない限り、怪我も直ぐに治りますわよ」

 なんて都合のいい力なんだ。

 こんなのばかり受けていると、何時かドボン食らいそうで怖いな。

 

 ついでといってはルシファーが可哀想だけど、ルシファーのいない時にしか聞けない事を聞いてみよう。

「ルシファーって、どうして堕天使になったんですか。悪い人には見えないんですけど」

「あっ、それあたし知ってる。ずーと昔の戦争で、一万人以上の兵隊を皆殺しにしたんだよ」

「ゲッ‼ 一万人を皆殺しってか」

「ティンク、それは少し違いますわよ。悪気があってやった事ではなくて、不幸が重なった結果としてそうなったのですよ」

 御茶を入れているエポナさんが、間違ったティンクの歴史学を訂正してくれそうだ。

「あれは、ルシファー様が天界一番の美形と持て囃されていた頃の事でしたわ。人間の信仰心を巡って、神々の間で諍いがしょっちゅうありましたの」

 只者ではないと思っていたが、ルシファーってそんなにいい男だったのか。

「神どうしの喧嘩って、あまり歓迎できる事態じゃありませんね」

 

 出されたお菓子の中に、東京駅の生チョコが混じっている。

 私が買ってきた分は、お土産にしたり皆で食べたりでとっくになくなっている。

 エポナさんが、別口で買っておいた物だ。

 ありがたくいただきながら話の続きを聞く。

 

「神の諍いは、人間界にまで広がっていきましたわ。世界各地で、大きな戦争が起きるまでになって、非常事態ですわね」

 エポナさんが、ティンクの御茶をフーフーしてあげる。

 小さな茶碗だけど、それでもティンクにとっては大きな器だ。

「神気取りの連中は、自分のやってる事に無責任なんだよね。最後は、ぜーんぶ人間に尻ぬぐいさせてさー」

 ティンクが不機嫌そうにするので、チョコレートを勧めてあげる。

 途端に機嫌が治ってニッコニコ。

 単純な女だ。

 

「神界での諍いや人間界の戦争を、こころよく思わなかったのがルシファー様ですの」

 ティンクの話とだいぶ様子が違ってきたぞ。

「ルシファー様は、戦場となった町や村に降り立ち、負傷した人達の治療をし、荒れた農地を耕し、それはもう。とても神には見えないほどボロボロになって。人間界を助けてまわったのですよ」

「あちこち回っているってのは聞いたけど、意外。あいつ、なかなか良い所あるじゃないの」

 まだ熱い御茶を、自分の風魔法で冷まし、ティンクがルシファーの善行を褒める。

 

「ですが、神々の争いはとどまる事を知らず、人間界の戦争も泥沼化していったのです」

「戦争がどんなに空しい行為か、どうして人間には分からないんですか」

 私は、聞いていて次第に苛立ちを覚えてきていた。

「ルシファー様と同じですわね。でもね、騙されやすい人間は、戦わなくてはならないと思い込んでしまうのです。好むと好まざるとに関わらず、戦う事が正義だと確信して疑わないのです。正義はいっぱいあるし、真実もいっぱいある事に気づけないのですね」

「そんなのおかしいです。同じ人間だったら、話し合えば良いじゃないですか。それに、人に殺し合いをさせて物事を決めようなんて、神のやる事じゃないですよ。そんなの神様じゃないです。卑怯です」

 

 エポナさんが静かに立ち上がって、キッチンから一升瓶を持って来た。

「飲みますか」

「飲みます」

「あたしもー」

 ティンクは単純に飲みたいだけだな。

 

「戦場で被害を被った村を回って、半年ばかりしてからだったのですが、ある村でルシファー様を限界に追い込む事件が起きましたの」

 エポナさんが私達のグラスにお酒を注ぐと、自分の湯呑にも表面張力で盛り上がる絶妙な注ぎ方でストップ。

「村では暴徒と化した兵隊達が女達を犯し、老人をなぶり殺し、男達を無理やり兵士にして連れ去り、逃げる男は殺され、子供は‥‥悍ましくて、とても言葉に出して言い表せない殺され方をしていました」

「酷い。人間のやる事じゃないわ。そいつら皆、地獄の悪魔だわ」

 

 飲む酒が不味いのは、安売りの酒だからではない。

 

「これを見たルシファー様は、歯止めがきかなくなってしまったのです。ただ呆然と立ち尽くし、天を仰ぎ微動だにせず、目は充血し、口からは口惜しさで食いしばった己の歯茎から滲み出た血を流したのです」

 エポナさんの目が、遥か昔のその時を見ているように潤んでいる。

 

「分る、分るわ。その気持ち」

 思わずお酒を一気飲みしてしまった。

「奈都姫様、ご注意あそばせ。あまり親身になりますと、いけない結果が出ますわよ」

 なんだ、いけない結果って。

 

 エポナさんが話に勢いをつける為か、湯呑に口から近づいて行って、酒を一飲みする。

「この時、戦場全体を巨大な天使が包み込むと、野獣化していた兵士達が、次々と倒れ息絶えていったのでございます。ルシファー様がなさろうとしていた、命の交換は失敗したのです」

 エポナさんが少し悲しそうだ。

 

「命の交換……ですか」