オリバー・バークマン
あなたの人生は、たった4000週間だ。
『我々はみんなもうすぐ死ぬ』
トマス・ネーゲル
→ 時間をうまく使うことが人の最重要課題
『人生とは時間の使い方そのもの』
アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールはかつて現代社会の生活をベルトコンベアにたとえた。
古い仕事を片づければ、同じ速さで新しい仕事が運ばれてくる。『より生産的に』行動すると、ベルトの速度がどんどん上がる。あるいは加速しすぎて、壊れてしまう。
生産性とは、罠なのだ。
中世には『時間というもの』が存在しなかった。
中世の農民が日が昇れば起きて日が沈めば眠る。
1日の長さは季節によって変わる。
時間は抽象的なものではないし、生活から離れて存在するものではない。
現代人にとって、1時間や1日や1年という時間は、ベルトコンベアで運ばれてくる容器のようなものだ。ちょうどいいペースで容器を埋めているときだけ『時間を管理できている』とという気分になり、焦燥感や罪悪感から逃れられる。
ちなみに『仕事の時間』と書かれた容器を自分の楽しみのために使うと、雇い主に怒られるから要注意だ(雇い主は、お金を払ってその容器を買っている。だからそれはあなたの時間ではなく、雇い主の時間なのだ)。
中世の僧侶が、まだ暗いうちに朝の祈りを始めなければならなかったので、全員が祈りに間に合うように起きる方法を必要としていた。
そこで僧侶たちは、時計を作って時間を測ることにした。
時計の針が刻むもの。それこそが『時間』になったのだ。
産業革命は一般に、蒸気機関の発明によって起こったといわれる。だが、ルイス・マンフォードは1934年の大著『技術と文明』で産業革命は時計なしではけっして起こらなかったと指摘している。
『時間を支配するものが、人生を支配する』
こういう時間の捉え方が、人生の難易度を極端に引き上げてしまう。
今を生きることができなくなり、未来のことしか考えられなくなる。
あの『深い時間』、時間の物差しを捨ててリアルな現実に飛び込んでいくときの魔法のような感覚は、もうどうやっても手が届かない。
自分はいったい何のために生きているのか?
人によって不安の対象は違うけれど、核心は同じだ。この人生しかないこと。この欠点だらけで、傷つきやすくて、ものすごく短くて、思い通りにならない人生が、ただ一度きりのチャンスだということ、その事実を、僕たちは認めたくないのだ。
『制約のパラドックス』
時間をコントロールしようと思うと、時間のなさにいっそうストレスを感じる。
制約に逆らうかわりに、制約を味方につける
自分には、限界がある。
その事実を直視して受け入れれば、人生はもっと生産的で、楽しいものになるはず。
限界を受け入れるというのは、つまり『何もかもはできない』と認めること。
自分がやりたいことも他人から頼まれたことも、すべてをやっている時間はない。絶対にない。
だから、それを認めて生きる。
大事なのは、意識的に選択することだ。
何に集中し、何をやらないか。
もう一つ大事なのが、『選択肢を確保する』とい
う誘惑に負けないことだ。
何かに時間を使うと決めたとき、僕たちはその他のあらゆる可能性を犠牲にしている。
『自分が学ぶべきことほど、うまく人に教えられるものだ』
『時間はかかるだけかかる』
不可能が可能になると信じて無理を続けるのではなく、不可能は不可能だと理解すれば、それに対抗する力が生まれる。
現実を理解したときに初めて、世の中の期待に振りまわされず、今できるなかで最善の生き方を選ぶことができる。
時間が限られているという事実を否定することなく受け入れる。そのほうが、僕たちの人生はずっと充実したものになる。
パーキンソンの法則
『仕事の量は、完成のために利用可能な時間をすべて満たすまで膨張する』
『効率化の罠』
心の自由を得るための唯一の道は『全部できる』という幻想を手放して、ひと握りの重要なことだけに集中することだ。
『やりたい』と『できる』のあいだに、けっして埋められない溝が生じる。
必要なのは効率を上げることではなく、その逆だった。
やりたい誘惑を振りきり、あえて『やらない』と決めること。
その間にもメールや用事はどんどんやってくるし、そのうちの多くはまったく手がつけられないだろう。
それでも、その不快感に耐えながら、本当に重要なことに集中するのだ。
楽しいことをすべて体験したいという衝動に打ち勝ち、すべてを体験するのは不可能だという現実を受け入れよう。
自分に体験できるのはほんのちっぽけな一部分だけだと理解していれば、まだ体験していないことがたくさんあっても焦らなくてすむ。
自分に許された数少ない体験を、心から楽しめるようになる。
人生の限られた時間のなかで。やりたいことをもっと自由に選べるようになる。
便利であるということは要するに手軽なことだ。でも、手軽なことがつねに最善であるとは限らない。
大切なことに時間をかけるために、別の何かを手放した。
限られた短い人生のなかで、あなたは何かを選択しなくてはいけない。
限りある人生を生きるということは ー それがどんなに最高の人生であっても ー 絶え間なく可能性に別れを告げる過程なのだ。
『今日が人生最後の日のつもりで』過ごすだけでは足りない。『つもり』ではなく、実際に今この瞬間が人生最後であるかもしれないのだ。
自分の有限性を直視して初めて、僕たちは本当の意味で、人生を生きはじめることができるのだ。
大切な人たちと過ごす時間が特別なのは、それが永遠には続かないからだ。
無限には続かないからこそ、価値があるのだ。
癌の闘病体験を『すばらしい出来事だった』と語るのは、まさに人生の有限性に直面するからだ。
みずからの死に直面したために、人生の見え方が変わり、あらゆるものが鮮やかな意味を持って立ち上がってくるのだ。
ここで考えたいのは、痛ましい喪失の経験をする前に、少しでもそのような時間との関わり方を知ることができないかということだ。
死を受け入れて生きる態度をいくらかでも、取り入れることができたなら、現実は一変する。
ほんの少しだけでいい。時々でもいい。
存在することの驚きと、そのあまりの短さに思いを馳せてほしい。そうすれば、今ここで時間の流れのなかにいることが、それまでとはがらりと変わって見えるはずだ。
イギリスの環境コンサルタントのジェフ・ライは、友人のデヴィッド・ワトソンが若くして急死したあと、物事の見方が変わったという。
交通渋滞に巻き込まれても、いつものように怒りで拳を握りしめるのではなく、そこにいられないデヴィッドのことを思うようになった。
『生きてこの渋滞に巻き込まれることができたら、彼はどれほど喜ぶだろう』
『人生のすべては借り物の時間』
『選べなかった選択肢を奪われた』という被害者意識を持つ必要はまったくない。
決められた時間のなかで、 『あれ』ではなく『これ』をする、という前向きなコミットメント
『失う不安』のかわりに、『捨てる喜び』を手に入れることができる
本当はなかったかもしれない貴重な時間の過ごし方を、自分自身で選び取った結果なのだから
タスクを上手に減らす3つの法則
①まず自分の取り分をとっておく
②『進行中』の仕事を制限する
③優先度『中』を捨てる
バフェット
『人生でやりたいことのトップ25をリストアップし、重要なものから並べなさい。そしてそのうち上位5つに時間を使うといい』
『残り20項目は、捨てなさい』
良い先延ばしにする人は、すべてを片づけることはできないという事実を受け入れたうえで、何に集中して何を放置するかを懸命に判断する。
ダメな先延ばしにする人は、自分の限界を受け入れることができず、そのせいで動かなくなる。
注意力は『限りある資源』だとよくいわれる
意識的に注意を向けることができるのは、脳内に氾濫している情報のうちわずか0.004%程度
セネカか『人生の短さについて』のなかで、怠惰に生きる人たちを手厳しく批判した。
彼が問題にしていたのは、楽しむことそのものではない。問題は、それが意図的な選択ではないという事実だ。
ビーチで日焼けするのも、スイカ動画を眺めるのも、それが本当にやりたいことであるなら問題はない。
『注意を向けることが、献身のはじまりである』
ソーシャルメディアを開くたびに『画面の向こうでせんにん1000人があなたの注意を引こうとしている』
アテンションエコノミー
スティーブ・ヤングは、高野山の修行のなかで、現実逃避をやめて、凍てつく水をしっかりとその身に受け止めたとき、それまでの苦痛は消え去った。嫌だという気持ちよりも、『今ここ』で起こってることに注意を向けることができた。
禅の教えによると、人の苦しみはすべて、現実を認めたくないという気持ちから生じるのだという。
『現実は思い通りにならない』ということを本当に理解したとき、現実の様々な制約は、いつのまにか苦にならなくなっているはずだ。
過去は変えられず、未来はどうなるかわからない
そう考えれば、古代からの多くの思想家が
『今ここにある現在』に注意を向けなさいと
アドバイスしているのもうなずける
あらゆる瞬間は最後の瞬間だ
本当はあらゆる人が人生の一回性を直視すべきなのだ。
人生は有限であり、だから必然的に、二度とない体験に満ちている。
息子のお迎えは、いつまでもできる体験ではない
そして僕たちはたいてい『これが最後』と気づかないまま、その時を過ごしてしまう。
だからどんな体験も、それが最後の機会であるかのように大切にするべきだ。
この貴重な瞬間を、いつか先の時点のための踏み台としてぞんざいに扱うなんて、あまりにも愚かな行為ではないか。
『怠ける権利』
〜P.172