今は昔のこと、筑前の守(かみ)で源道済(みなもとのみちなり)という人があった。和歌の道を深く極めていた。その人が、任地の筑前に下っていたころのこと、その供についてきた侍が、長年連れ添った妻を京から同伴してきた。ところがこの国に住む女と深い中になって、いつしか心が変わりし、とうとうその女を妻にして昔からの妻のことを忘れてしまった。
元の妻は、旅の空で捨てられて途方に暮れました。そして夫に向かって「前どおりに一緒に住んでくれとは申しませんが、京にのぼる人がありましたら、その人に頼んで、わたしを京にお返しください」と申し送った。
しかし夫は耳にも入れず、しまいには元の妻のおくる手紙さえ見ようとしなかった。男は今の妻の家にいて、元の妻がどんな暮らしをしているのか気にも留めなかったから、元の妻は物思いに沈んで嘆き悲しんでいるうちに、思いもよらず病気になってしまった。
丈夫でいる時でさえも夫を頼みにして遠く九州まで来るのは心細い限りだったのに、今は夫に去られ、日々の食事にも事欠く有様。何とか細々と日々を過ごしていたものを、ましてや重い病気となってみれば、考えるだけでも前途は心細く思われる。泣く泣く寝ていたが、京からついて来た女の童が一人きり、その看病をしていた。
そこで男のもとに、今は病気となって心細く暮らしていると、言ってやったが、相手は聞きもしない。日が経つうち病気はいよいよ悪くなった。女は知る人もない旅の空の下で死ぬのか、と嘆き悲しんで、もう自分が死んでいるのか生きているのか、それさえも定かではない。それでもやっと気を取り直して、わななく手に筆を握って、かろうじて文をしたためると、女の童に持たせて男のもとにやった。
女の童は守(かみ)の屋敷に、この文を持って行ったが、男は手に取るとちらっと目を通しただけで返事もやらず「よくわかった」と言ったきり何ひとつ言わなかったので女の童はどうしてよいのかわからず帰っていった。
ところが、この男の同僚の侍が、その場に捨ててあるこの女の文を、なにげなしに手に取ってみると、次のような和歌が書いてあった。
とへかしないくよもあらじ露の身を
しばしも言の葉にやかかると
(もう一度だけおいでいただけないでしょうか。もういくらも命のないわたしですが、ほんのしばしの間でも、あなたのお言葉を力に生き延びられるかもしれませんので)
この侍は情けのある男であったから、深く感動した。それにつけても、なんとあきれはてたあさましい心を持つ奴だ、と同僚を憎んで、この女を可哀そうに思うあまり、守(かみ)に知らせようと、そっとこの文を見せた。
守(かみ)は、これを見て、男を呼び寄せ「どうした仔細だ?」と訊問したので男は隠し得ずに、包まずにこれまでの仕打ちを語ったから、守(かみ)はそれを聞いて怒り「おまえは、何と情けを知らぬ人でなしだ」と言い放った。
そこで守(かみ)は、この妻のところに人をやって様子を見させたところ、女は文を持たせて女の童を出したあと、その帰りも待たずにもう死んでいた。
使いの男は帰ってきて、この旨を守(かみ)に報告すると、守(かみ)は情けある人で、この上なく同情した。
さっそく夫の侍を呼びつけ「わたしは多年、おまえに目をかけて使ってきたが、思えば口惜しい限りだ。おまえのような人でなしを、こののち、そば近くで見る気にはなれぬ」と言って、これまで任せていた仕事を全部取り上げた。住んでいた家からも追い出し、行く先々からも追い放して、筑前の国の境の外へと所ばらいにした。
そして死んだ妻の家に人をやり、見苦しくないように遺骸を葬り、坊さんまで呼んで、ねんごろにとむらった。
夫の侍は、今の妻のもとに行くこともできず、とうとうしかたなく、京にのぼる船に乗せてもらい、裸一貫で京へと帰った。
情けを持たぬ者は、つまりはこんな目に会うのである。守(かみ)は慈悲もあり、人の心も知り、和歌も詠んだ人で、このように他人の不幸を憐れんだ、という話である。
(巻24第50話)