わたしの両親は簡潔に言えば、病気でした。
母は統合失調症を患い、父は糖尿病を患っています。
母の病気については、家を離れ結婚をするまでしりませんでした。
しかし、どこかおかしい。
それは幼い頃から感じていました。

この病気が、わたしを毒親から解放することからまた別の意味で苦しめるのです。

誰に言われたわけでもなく、強いメッセージとして、
病気の両親が子供に辛い思いをさせたのは仕方のないこと。
彼らは精一杯やったに違いない。
世間はそんな両親を疎むことを罰とするだろう

世間に溢れる親孝行をする、家族愛のイメージに、わたしは心絡め取られ、両親から逃げる自分に対する罪悪感としかしながら、両親と接するだけで湧き上がる嫌悪感、恨み、悲しみ、過去の記憶、言いようのない絶望感に苦しみ続けてきました。

わたしは両親を目にするたびに、この世の不幸はここに集約されている。
その不幸の溝にわたしも手足を絡みとられ、足首から引きずり込まれる。その言いようのない、言葉にすれば仰々しいような、でもこれがあまりにも適切な言い方である思いにさいなまれるのです。

その気持ちはわたしを蝕んで、大きな大きな黒い点として、心の中を蝕んで行きます。

しかし、病気だから…
そう、そのワンフレーズが、幼い頃から受けた傷をさらにえぐるのです

病気だから、子供の世話を十分にできなかった。
病気だから、暖かな家庭を与えられなかった。
病気だから、働けなかった。
病気だから、常に清潔な環境を与えられなかった。

それは、わたしの深い悲しみに蓋をするには十分な言葉でした。
わたしの心の中には、そのワンフレーズで深い悲しみや拠り所がない絶望感や恐怖、色々なネガティブな感情が蓋をされ、マグマのようにグツグツと沸きながら溢れないように強く強く押さえ込まれていったのです。