私は中学生・高校生の時に毒母と何回も大喧嘩をした。


思春期だったのもあると思うけど、毒母は子供に寄り添うなんて事が出来ない。


ただただ怒鳴ってどうこうしようとする。


そんな時私は自分なりに気持ちが落ち着く物を見つけた。


それが「リストカット」


ビビりなのでそこまで深くはやりませんでしたが、薄く何本も後が残っています。


よく見ないと気付かないと思いますが。



自分に痛みを与える事で心が安心した。

一気に怒り・悲しみが消える気がした。


私がおかしいから毒母が怒ると思っていましたが、やっぱりあの怒り方は今思い出しても尋常ではなく、私は毒母の前では良い子ちゃん、学校では悪い事をするようになって行きました。


遂に毒母が何かで先生に呼び出された時には殴られたり蹴られたりしました。


私がもし子供が同じ事をしたら

「学校へ行きたく無いなら行かなくて良い」

と言うと思います。


私の場合、学校が(友達)逃げ場だったからそれは無いけど。


先生と何回か話すうちにうちの毒母の異常な怒り方に問題があると悟った先生が一度毒母に言ったみたいです。


その時に毒母は親らしく話し合おうと言うような事を言っていました。多分先生に言われたのだと思います。


高校では凄く良いクラスメートの恵まれ、部活にも集中したので高校からの3年間はスムーズでした。でもやはり人間関係がキツい時もあったし、毒母が支えになる事は無かった。


自分の心の中を見せる事は絶対に無かった。


その後大学に行って解放されましたが、やはり毒母の妄想が始まって大変でした。


結局ずっと毒母と一緒にいる=私(毒母)がやってあげてると思われてと思います。


今は毒母の問題で私の心が落ちる事も無くなってきました。思い出すと家具の事とかは結構腹が立ちましたけど。


毒母は毒母の問題ときっぱり線引きが出来るようになったのかもしれません。


HSPもあるので毒母がおかしいのも自分の責任だと思っていたのだと思います。